悲しいから嬉しい

先日、テレビで放送された「かぐや姫の物語」をようやく見ました。
以下、作品のネタバレを含みますので、未鑑賞の方はご注意ください。


かぐや姫は、月である罪を犯してしまった。
その罰として地球に追放される。
しかし、最終的には地球から月に帰る。


作品の宣伝では「姫の犯した罪と罰」というコピーがついていましたが、作中でそれを直接的に表現することはありません。
ただし、罪が何かを推定できる場面はあります。
おそらく、以下のようなことです。


月には苦しみや悲しみがない。
地球にはそれがある。
月から見れば、地球は「穢れた星」ということになる。
かぐや姫は、月にいながら、そんな地球に憧れを抱いてしまう。
それが犯した罪であり、その罰として地球に追放される。
地球で幸せに成長するが、ある出来事をきっかけに幸せを感じられない生活になり、ある事件により、月のことを思い出し「月に帰りたい」と願ってしまう。
やがて月から迎えが来て、月に帰っていく。


この映画では、最後の月に帰っていくシーンが実に不気味に描かれています。
必死に抵抗する人間に対し、月の人は楽しげな音楽を奏でながら、優雅にやってきて、何事もなくかぐや姫を連れて帰っていきます。
それは、とてもではないですが、「素晴らしい場所への帰還」ではありませんし、僕には悲劇として描かれているように見えました。


この映画から、以下のようなメッセージを感じました。


"悲しみがあるから、喜びもある
それは穢れた世界ではない。
色んなことがあるから人生だ。
それが嫌だと一度でも言ってしまって、そこに生きる権利を失ってしまったかぐや姫。
僕たちも時にかぐや姫的な逃げ出したいという感情を持ってしまう。
でも、かぐや姫は後悔した。
そんな感情も含めて、人生というのは輝くのだ。
「許されて」月に帰っても無味乾燥。
地球という、カオスな世界で生きてこそ、人生は輝く。"


これは、高畑勲監督の描いた「人間賛歌」なのだろうと思います。


宇多田ヒカルさんの「花束を君に」という曲にこんな歌詞があります。


"毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く
ただ楽しいことばかりだったら
愛なんて知らずに済んだのにな"


ブッダとシッタカブッダというマンガに、こんな話があります。


"幸福は山の上で不幸は谷の底。
不幸になりたくなくてシッタカブッダは谷を埋めようとしていた。
あれー幸福も不幸もなくなっちゃった・・・"


これらに共通するメッセージを感じます。
悲しいから嬉しい。
辛いから楽しい。
それが人生なのだと思います。
そして、そう思うと、気持ちを楽に生きることができます。


こんな理屈をこねなくとも、「かぐや姫の物語」は、その映像や音楽、声優さんの演技だけで、十分に美しい映画だと思います。
いいものを見ました。