後藤 健夫さん講演会メモ

2018年2月7日
後藤 健夫さん講演会メモ

大局観

Teaching → Learning

受動的学び→能動的学び

言われたことをきっちりやる、ということを得意としているのはコンピューター

脳働的学習

若者の未来

人生100年時代構想会議(経済産業省)
今の小学生は22世紀まで生きる。
人生二毛作、三毛作だ。

「未来の教育」とEdTech研究会(経済産業省)
1月、3月、5月と3回しか研究会はない。
その間にワークショップを行う。
テクノロジーを使った教育(主にはIT機器)について考える。

今の日本の状況を見たところ、このままでは立ちいかなくなる。
経産省の若手官僚の作成したレポート「不安な国家・・・」

正解主義。
正解がわからないと発言できない。
正解がわかってからでないと情報発信できない。

正解のない問い、最善解を求める。

「非認知能力」がかなり重視されている。
小学校くらいまでにかなり養われる。

アメリカと日本で学校におけるWifi の状況
アメリカは88%
日本は28%

データをとるということ。
紙のテストを手で採点していても、データは取れない。
タブレットで実施する試験は、データが取れる。
どの問題にどのくらいの時間をかけているか、どの問題で躓いているか。
今の状況では何のデータも生まない。

小学校の先生にとってドリルの採点はかなり負担。
千葉県にある退職教員のNPO。
学校の先生がしんどいと思っていることを手伝いに行く。
そこで一番でてくるのが「ドリルの採点」

学校には端末がない。
これでは無理。
個人のスマホを使おうとしても、スマホを持っていない生徒もいる。
でも、実はPCもスマホも余っている。それを活用することは可能かもしれない。
むしろ、これからは通信環境が問題になる。
古いPCにChromeを入れる(軽いOS)などができるかもしれない。

「公」というものを「官」が担ってきたが、これからは「官民」でやっていくべきではないか。

家の前の道路を何とかしようとして役所に頼むと2~3年かかる。
でも、皆でやればけっこう何とかなることもある。「官」だけに頼らない。

経産省の「学びと社会の連携促進事業」には25億円の予算がついている。
文科省はこういう予算をとれない。

今の様々な流れの背景にあるのは、未曽有の少子高齢化
「一億総がかり」という概念が出てきた。
ニートも専業主婦も認めないような方向性。
「一億総活躍」といっているけれど、「一億総がかり」が実態。
N高校なども、引きこもり・ニート対策の意味合い。

地方消滅の危機。
小学校がなくなると地域が衰退する。
地域のコミュニティの場としての機能が失われる。

どうやって子供たちを育てていくのか、は完全に行政の問題になってしまっている。
教育サービスが乏しければ、子どもはいなくなる。
仕事を渡そうとしても、その仕事をしてくれる人がいない。
就職難から人不足へ。
マルチワーカーが求められる。農業やりながら漁業など。

人工知能の進化。

職業の寿命が短くなる。
そうすると、転職しないといけなくなる。
リカレントをやる機能を専門職大学に持たせたいが、文科省はあまりそっちを向いていない。

大企業で40代~50代で先の見えている、でも能力の高い人はたくさんいる。
そういう人を中小企業に流すことはできないか、という発想。
銀行なども、AIが発達して人は減っていくはず。

リカレントをやる前に、「学ぶことを学ぶ」ということができているかが重要。
大学では「学び方を学ぶ」ような活動をやっている。メタ学び。
これを高校におろそうというのが次の学習指導要領。

このときに進学校として何ができるのか?
これが問われている。
答えはない。
「学び方を学ぶ」ことと、「探究的になる」ことが大事。
探究心はいつ芽生えるかわからない。
その種をどれだけ教師が投げられるかが重要。

若者の未来を明るくするのは教育である。

今のEdTechは学習管理と遠隔学習だけ。それではしょうがない。

これから求められる能力とは?
OECDのカリキュラム・デザインに関する資料

4つのC
Creativity
Critical Thinking
Communication
Collaboration

これをどう実現していくか。
カリキュラムマネジメントにもこの視点が必要。

知識の構造化
知識は構造化することによって使いやすくなる。

Ellaboration Strategies
日本の生徒はいつまでたっても正解主義。
これからの進学校は、いかに探究的になれるか、ということ。
今まで持っていた知識を再構成していくような流れ。

ベルトの穴が一つ縮んでいた。
でも、体型は変わっていない。なぜ?
多面的に見る。考える。
実は、ベルトが伸びていた。

論理的思考力よりも批判的思考力(論理的思考力はベース)

日本は英語だけでなくTOKのような基礎訓練がなされていないことが問題だ。

知識よりも問題解決。
知識をいかにためこんでいくか、ではない。

問題を切り分けて問題を解決していくのが、従来型の問題発見解決。
プログラミングのバグ取り。
でも、これからの問題解決は違う。
多様な立場の人たちの意見を認めながら、皆が納得するようなものを導いていくような力が求められる。

生徒が高度な教育を受けたかどうかは、試験で何点取れるかではなく、まったく新しい状況で何ができるかによって確かめられる。(国際バカロレア初代事務局長 アレック・ピーターソン)

若者の自己肯定感を挙げるには、教職員の自己肯定感も上げる。
管理職はニコニコしていることが大事。

最も教えやすく、最もテストしやすいスキルというのは、最もデジタル化、自動化、外部委託に移行しやすいスキルでもある(シュライヒャー OECD教育・スキル局長)

2021年度入試の東大入試はどうなるか?誰も答えられない。
何も決まっていないから、誰も何も答えられない。
時間がないからいい加減になっている。

完全実施まで見通した2025年度入試までは、かなり大変だろうと予測される。
新しい学習指導要領への移行は、いきなりは無理。
どのようにショートステップをきちっと作っていけるかが勝負。
このモデルをつくるのが進学校だと思う。

教育というのは年度で決まっている。
一年1サイクル。
何かあっても、来年まで待たなければならない。

※東大入試の抱える問題は?
東大の入試とはいえ、正解は一つに決まっている。

高校の一般教育としての教育と大学入試対策を切り分けた方がいいのではないか?
昔は、高校で入試対策なんかしていなかった。それは予備校の仕事。
高校は、教科の深みを教えるものだった。

大学入試は、以前に比べて楽になっている。生徒の数が減っているから。

予備校の機能が低下している。これが実は問題。
予備校で教えていた人が大学に行って、入試をつくっていたりした。
でも、今はそういう人材が減っている。
大学入試問題をつくる技能が落ちてきている。

大隅先生だって、東大オープンの問題をつくっていた。

※どうしていくとよいか?
大学と高校のコミュニケーションをとらなければならなくなる。
これからは教え込むことをできる限りなくして、考えさせる

※入試はどう変わる?
文科省の指導が悪くて、ほとんど変わらなさそう。
私大はそもそもアラカルト入試だから、そのままいくかもしれない。

システムの問題とは日程の問題である。
日程を変えるべきである。
でも、それがうまくいかなかった。

ディプロマポリシーをどう定めるか?という問題もある。

共通テストを軸にしていくしかない。
国語なんかはかなり劇的に変わるだろう。

調査書を点数化するということがでてきても、それは難しいだろう。
労力がかかる、ということだけかもしれない。
入試という観点で見れば、無駄かもしれないが、社会的な要請で見れば意味があるかもしれない。
ポートフォリオをつくらせるのであれば、面接とセットでなければ意味がない。

個々の授業を振り返らせるかが重要。
これから求められるのは、経験を一般化していくこと。

「良い問い」とは何か?
正解主義に陥っていると、なかなか難しい。
いったん突き放してみてもよいかもしれない。

いかに生徒の時間をもつかということ。

正解主義を打ち破るための方法としてはディスカッションをしてもらう、なども有効。