合同学習会の価値

先日、理系生物選択の生徒が、生物以外の試験の振り返り会を企画しました。
聞けば、講座全員のLINEのグループをつくり、そこで呼びかけたそうです。
当日は、4〜5名で楽しそうにモリモリと学んでいました。
当然、生物ではないので、僕は場所を貸しただけで何も介入していません。

始まってすぐに、「このホワイトボード、使ってもいいですか?」と聞かれたので使用を許可すると、楽しそうにそのホワイトボードに「論点」を整理していっていました。
自然に「書記兼議長」の役割の生徒がホワイトボードに整理し、他の生徒は自由に意見を交換していきます。

いい学びの場だなぁと思いました。

終わってから、生徒に「一人で試験の振り返りをするのに比べて、この形式で何がよかったか?」と聞きました。
すると、「やってみよう、という気になる。一人だと、難しくて心が折れてしまって結局やらないことも、皆でやると皆が意見を出しながら解決していくから、心強いし、やろうという気になる。それに、実際やってみたら、意外に簡単だということにも気付けた。すごくよかった」という答えでした。

なるほど、と思いました。
教員は、「難しそうに見えるけど、実は簡単なこと」というメッセージを発したり、あるいはそれが伝わるような丁寧な解答解説を作成したりします。
でも、「こんなの自分には無理・・・」と心がくじけてしまうと、そもそもそれと向き合ってくれないわけです。
でも、仲間とならば、それと向き合うことができ、結果として教員が伝えたかったであろうメッセージも伝わる。
そういうことがあるのです。

目標の提示
内容の教授
評価
環境整備

このうち、「内容の教授」を生徒に預け、生徒の主体的・対話的な学びを引き出すことが言われることがあります。
しかし、同時に、教師が目標の提示や評価をしっかりしなければならないとも言われます。
でも、本当はそれも生徒に任せることだと思います。

この学習会の目標は生徒がそれぞれもち、その成果の評価も、生徒それぞれがそれぞれの評価軸で行なっているはずです。
そうなると、教師の仕事は、「環境整備」が主になります。

「教師は何をする人か?」という問いを突き詰めたときに最終的に何が残るのか。
それを考え続けます。