すべての質問は等価

首都大学東京「ティーチング技術講座」
5月10日
メモ
★は個人的見解


●質問に答えられない教員は生徒と信頼関係を築けない。信頼関係を築くためにも、教員が正確な知識を持つことは重要。
★教員が生徒に対してつねに「知識」で勝っている必要はない。
むしろ、教員自身がそういった価値観から自由になり、生徒にもそれを伝えていく方が重要である気がする(だからといって、教員が不勉強で無学でいいとは思いませんが)。


●すぐに調べる子はのびない
●高校生が、考えずにすぐに調べることは弊害が多く、禁止した方がよい。
★「知識を求める」ことは悪か?どんな時に、どのように弊害が生じるのか?


★「考えるに値する問」と「考えるに値しない問」の違いは何か?
教えることの意味は?
個人的には、知のショートカット、もしくは、新しい世界の提示。


●考えるのに慣れるまでは、教えないことを重視。それに慣れてきたら、教える量が増えていってもいい。
 考えられるようになった生徒は、知識もどんどん与えていい。そうすると、むしろもっと考えられるようになる。
★つまり、「知識を与えると考えなくなる」ことが本質的な問題なのか?


★「考えるに値しない問」の類型化?
 考え出すと深みにはまってしまう可能性の高い問
 質の高い思考に繋がらない問
でも、これらも教員の勝手な思い込みか??
 実は「考えるに値しない問」は存在しないのではないか?


★生徒がつくる「問」を生徒自身が質の高低を紹介する活動があるはず。
どういう基準で分けているのか?
また、その目的は?


★一般社会では、「イシュー度」の高い課題に取り組む、ということも重要。
そのトレーニングはいつ、どのように行うことことができるのか?


★「紅茶には葉緑体があるか?」は、質の高い問か?
 教員の「頭の中身」による評価がかなり影響しているのではないか?


●あるところまで行けば、「現代の学問体系」に則った整理をしてあげる必要もあるかもしれない。


●「すべての質問は等価である」というと思うようになり、生徒の質問に対して「いい質問だね」と言っていたのを、「面白いね」と言い換えるようになった。「いい質問」というのは、教員の評価が入ってしまっている。そうすると、「いい質問」でないと質問しにくい空気ができてしまう。