マニュアル化できない”在り方”

今日の授業開きで実際にあった生徒とのやり取りです。
グループワークで、「生物豆知識」などを話してもらっていました。
ある生徒がスマホを使用していました。
僕はそれを見て、「あっ、スマホを使っている」と指摘しました。
「あっ、すいませんでした」となるのかと思いきや、その生徒は「スマホがダメなんて先生は言っていませんでしたよね」と意見を述べました。
僕は、「その通り。スマホは使っていいんです」と返すと、隣のグループの生徒が「えっ使っていいの??」とざわついていました。
※他の授業では通用しない可能性が高く、やはり無断で使用するのはよくないことだろうということは伝えました。


その生徒は、自分の知っている面白い生物の画像をグループの皆に見せてあげようとしていました。
こういう使い方がごく自然にできるのは素晴らしいし、「自分の頭で考える」ことができていると思いました。
このエピソードから伝えたいことは、結局のところ教員の「やり方」ではあく「在り方」なのだということです。


「自分の頭で考えることが大事」と言いながら、”ルール”に従わない場合に、対話も何もなく「どうしてどんなことをするのか」と咎めてしまえば、そこでゲームオーバーです。
また、口では「いいよ」と言っていても、言葉のニュアンスやちょっとした仕草で否定的なメッセージを送ってしまうこともままあると思います。
そうならないような、生徒に対するこのさじ加減は、「やり方」としてマニュアル化できるものではないと思います。
最初の授業でこのようなやり取りがあり、「(自分の頭で考えたうえでの)自由の行使」を認めてあげること、または認められない場合でもフラットにきちんと対話ができることが決定的に重要だと思います。
授業開きで、このあたりの感覚も大切にしています。