思考に知識は必要か

【かえつ有明2020】~石川校長のビジョン(4)~


知識と思考に関して、考える材料があります。
記事には、こんなことが書かれています。


"確かにただ知識を蓄積して、言われたこと書かれていることを何でも鵜呑みにするような勉強はよくないけれど、これからの学びが目指していることは、知識をどのように活用していくかということです。幅広い領域に興味や関心を持つことはもちろん、知識を断片として保存するのではなく考える材料に変換していくことが問われているのです。"


これはその通りだと思います。
いわゆる「内容知」から「活用知」への転換です。
また、記事では、こんなことも書かれています。


"そういう意味では知識を習得する授業も大いに必要です。"


首都大の松浦先生は、「知識なんか教える必要はない。知識はいつでもとってこれる時代なのだから、あえてそれを取りにいかせないで考えさせる場が必要である」という立場でご発言なさっています。
それに対して、高校教員の側はかなり違和感を感じています。


結局、本質的な問いは、

●考えるために、知識は必要か?

ということです。


松浦先生は、個々の「体験」をベースにすればそこから様々に思考を展開できるとし、体験との関連付けを重視されています。
僕自身は、「知識測定のための知識」ではなく、「考える材料としての知識」は授業で扱ってもよいのかなぁと思います。
その知識の獲得も、本来は生徒自身が自分たちで獲得していくプロセスが理想的だと思いますが、時間との兼ね合いや生徒の実態に応じて「知のショートカット」としてある知識を提示することもあります。
ただし、従来の受験対策のように「網羅的に知識を詰め込む」ことは避けるべきであるし、「覚えるべき知識を整理できて提示できることが教員の価値」という価値観から自由になって欲しいとも思っています。


●知識は思考に必要か
●どんな知識がどのくらい必要か
●その知識はどのようなプロセスによって獲得するのがよいのか


これらの問いと向き合わずに、「知識は絶対必要だ」とか、「知識は絶対不要だ」ということは、問い方のマジックであり、不毛な議論だろうと感じます。

僕自身は、上に述べたような基本スタンスは持ちつつも、まだ明解な納得解には至っていません。
「知識無用の思考」の具体的なイメージ、特に年間を通じたイメージが今ひとつ掴めないということもあります。
ここが個人的な考えるべき問いだろうと思います。