何のために全国優勝を目指すのか

運動部活動に全国大会がなかった頃


部活動に関して、様々な議論が展開しています。
考えるべきは、

「そもそも部活動は何のために存在するか?」

ということ。
つまり、中高校生が放課後集まって学校と関係のないところで自主的に行う活動と、学校の部活動とは何が違うのか、部活動としての活動は本当に必要なのか、必要ならばそこにどんな意義があるのか、ということです。


生徒は、部活動があるということが前提で、そこから思考を出発していることがあると思います。
場合によっては、教員も同じように無批判に前提を共有してしまっているかもしれません。
しかし、「物事を根本から考える」ためには、前提として「当たり前」に思っていたことも、「本当に当たり前なのか?」と問い直すことが必要です。
その時、「当たり前」の根拠を示すことが出来なければ、それは単に「当たり前」であることに甘えて思考停止しているということだと思います。


この記事では、「全国大会」をテーマに論が展開してます。

「そもそも全国大会は何のために必要なのか?」

という問いに対しては、前述の部活動と同じで、全国大会の存在そのものを「当たり前」として無批判に皆が受け入れてしまっているのではないでしょうか。

もちろん、大会に向けて切磋琢磨する中で人間的に大きな成長が得られることは大きな意義です。
しかし、本当にそれは大会参加を通じてしか得られないものなのでしょうか?

また、大会の存在のデメリットもあります。


僕が最も危惧するのは、「勝利至上主義」とも言うべき意識を植え付けることにつながりかねない、という点です。
意識も技術もものすごく高い水準の集団の中で悩み苦しみ、それでもやり通したという経験は素晴らしいことです。
しかし、その後の人生で出会う新しい集団がそうでなかったとき、価値観を共有できない人間を排除する方向性を持ってしまう可能性があります。
厳しい環境で成長できて、その後指導者になったら、それが唯一解であるかのように、当たり前のようにその価値観で指導をする。
そこにフィットしない人間は、攻撃対象になることもある。
こんなことが当たり前になっている世界は、「幸せの感受性」を低下させることでしょう。


記事中にはこんな指摘があります。

"<競技>の論理に沿うかたちで、<教育>の論理を立てる"ことに陥っていないだろうか。

まさにこの点こそ考えるべきポイントです。
 「勝つことを目指して」かつ、より大きな目的を意識して活動できれば素晴らしいと思います。
でも、「勝つことを目的として」活動することは、好ましい状況ではありません。

全国大会は本当に必要か。
そもそも部活動は本当に必要か。

これらの問いを、「人間が成長できる場の提供」と「中等教育の役割」という観点から、教員も生徒も思考停止することなく、一から議論を積み上げると良いなぁと感じます。


記事より引用
"はたして、今日の学校現場において、<競技>の論理に抗するかたちで<教育>の論理を立てて、部活動のあり方を論じようという姿勢はあるだろうか。
いやそれどころか、<競技>の論理に沿うかたちで、<教育>の論理を立てることに一生懸命ではないだろうか。たとえば「部活動は生徒指導の要だ!」と、部活動の<教育>的意義を強調しながら、平日の早朝や夕刻さらには土日祝日に、生徒を教員の管理下に置くことが正当化される。それは同時に、勝つための練習でもあり、対外試合への参加にもつながっている。生徒指導という<教育>の論理が、<競技>の論理と同じベクトルをもちながら、年中無休の部活動が維持されている。
 <教育>の論理とは、いったいどうあるべきなのか。そして、<競技>の論理もまた、それでよいのだろうか。さらには、学校の運動部活動と学校外のスポーツクラブは、いかなる機能をもつべきか。これから先の部活動のあり方は、意外にも70年前に、答えが出ているのかもしれない。"