名門校に行く意味とは

オックスブリッジが世界最高峰の研究力を維持できる理由---個人の才能が活きる組織としての強さとは?

いわゆる名門校を目指す意味は何でしょうか。
ハーバード大学などの講義ですらも、インターネットやテレビなどで聴講することができます。
「一流の講師陣の講義を聴く」ということは、それほど大きな意義を持たないのかもしれません。
それでも、名門校を目指すとしたら、そこにどのような意義があるか。
それを考えるかヒントがこの記事に取り上げられたケンブリッジに多く存在します。
今年度の授業開きでもこれに関連する話を生徒にしました。


君たちが厳しい入試を乗り越えて国立高校に入学したのはなぜか?
一流の授業が受けられるから?
おそらくそうではない。
自己紹介なんかを聞く限りは、文化祭に憧れたり、この学校の雰囲気に憧れてきている人が多いと思う。
ならば、「知が開かれた時代」にあって学校や授業の意味はどこにあるのか。
それは、「面白い人間がたくさん集まっていること」。
その価値を最大限に生かすために、是非多くの人間と対話し、その面白さに触れてほしい。


それぞれの学校に、それぞれ個性豊かな多くの素晴らしい才能が存在するのだと思います。
でも、そのままでは、その素晴らしさ面白さに気付けないかもしれません。
そこで、「個」で閉じるのではなく、「協働」することで、互いの面白さに気付き、対話の中で新たな価値が生まれます

探求は一人でするもの。しかし、探求の芽は協働にある。

探求の芽がそこかしかで生まれる「仕組み」が、ケンブリッジの強みであり、時代が変化しても変わらない「不易」になっていることでしょう。
これは何もケンブリッジにしかできないことではありません。
こんな価値を語り、動きが生まれ、それが受け継がれていったときに、「文化」となります。
僕自身もそんなことを学校で目指しています。


記事より引用

"理系・文系を含めて数多くの分野が存在するが、世界をリードする人間たちが持つ哲学には共通するものがあると感じる。"


"筆者の知るケンブリッジで素晴らしい研究を行う人たちを考えてみる。確かにみんな、知識があり頭の回転がはやい。頭のよさに関しては何の疑いもない。しかし、同じように頭の良い人達にはケンブリッジ以外でも出会ってきた。ケンブリッジの研究者が特別な天才ばかりかというと、そうとは限らない。従って、個人の頭の良さだけでは、ケンブリッジの研究活動の類まれなる成功例を説明できない。では他に何があるのだろうか?"


"イギリスにはティータイムという、一旦仕事を停止して皆で集まってお茶をする時間がある。歓談の間にしばしば研究の話を始める。自分の研究について話すうちに相手から有益なアドバイスをもらえることがあり、逆に相手の研究を聞くことで新しいアイディアが生まれることもある。研究所全体でもリトリートという泊りがけのイベントがあり、その際に全ての研究グループの発表を聞き、話し合う時間が設けられる。さらには、ケンブリッジ大学及びオックスフォード大学にはカレッジが存在し、異分野の学生・教官と触れ合う機会が多々ある。研究室自体の構造もオープンラボといい、隣の研究室との間に壁がない。これにより、隣の研究室と知り合い、話す機会が増える。研究機器の貸し借りも頻繁に行われ、研究所や学部を超えて行われるケースもある。"