「ふつう」から「多様性」へ

「リクルートを選んだ理由」日本から逃げ出した”社会不適合系女子”が、UCLAで確信したこと

共感できる部分が多い記事。
この女性が、今の日本の「マジョリティ」ではありませんし、このような「型にはまらない生き方」は、多くの高校生からは敬遠されるかもしれません。
ある種、彼らは「型にはまりたい」ように思えます。
記事の中に、「多様性」について書いてある部分があります。


アメリカ:「多様性」のある環境での「経験」→「多様性」があるのが「ふつう」
日本:「多様性」を感じにくい環境→「ふつう」と「異質」を区別→「異質」は、除外もしくは「ふつう」に近づける


こういう背景から、「異質」であることを避け、「人と同じでいたい」という心理が生じるのでしょう。
「型にはまりたい」という思考の裏にあるのは、「不安」や「恐れ」だと思います。
この女性がそこから抜け出すことができたのは、様々な理由から「生き易さを選んで信念に背くことの方がずっとコストが高い」という信念を持っているから。
この考え方も、このままでは「不安」や「恐れ」を乗り越えて人生を切り拓くほどのインパクトを高校生には与えないかもしれません。
「ふつう」からの「多様性」へのマインドセットの切り替えは、重要であり、何とかして伝えられないものかと思います。


「多様性」は、人種や民族とセットで横たわっているものではありません。
日本にいたって、10人でも40人でも、教室に高校生がいれば、そこには十分すぎるほどの「多様性」があふれています。
しかし、それに気付けない、あるいはあえて気付かないようにして、「ふつう」を意識し、「共通項」を探ろうとする。
「くさいものには蓋」ではないですが、「多様性に蓋」をしているようなものに思えます。
それをさせているのが、「ふつうから外れることの不安」なのです。


それを打ち破るには、「みんな違ってみんないい」という感覚を持てることだし、それをより端的に表現するなら「皆が皆を面白がれる」ということなのだと思います。
そんなマインドをもてれば、「多様性」をむしろ積極的に見出し、積極的に楽しめるようになります。
すると、「型にはまりたい」から抜け出し、「それぞれ型は色々。自分のだけの型を見つけよう」というキャリア形成につながっていくのだと思います。
そのためには、「理屈」よりも「体験」です。
そのための“場”を用意することが、教員としてできることです。


“留学を通して気づいたことといえば、”慣れの度合いの違い”です。
日本でもアメリカでも、「男はこうあるべき」「外人といえばこうだ」といったステレオタイプの押し付けがあって、その人の振る舞いに期待値を設定しますよね。そしてそれを基準に、「期待値に沿った人」と「期待値から外れた人」に分けて脳が認識する。これは全世界共通です。
ただ、日本ではアウトライヤー の絶対数が少なく”慣れて”いないため、見慣れない人は「コミュニティーから除外する」か「ステレオタイプに基づく期待値に近づける」という二種類の力が働きやすいように感じます。それに対して、当然のごとく多様な人種と文化が入り混じるアメリカ、特にカリフォルニア州では、アウトライヤーの絶対数が多く”慣れて”いるため、ちょっと違う人がいても全く気にしないという状況が起きます。驚くほど気にしません(笑)。
そういう環境が、私にとってはものすごく居心地が良かったんだと思います。”


“小学校を卒業をするまでに、少なくとも1000回は「生きる理由」について自分に問うてきました。なぜそんなことを考えなきゃいけなかったかというと、答えは単純で、「生きるための強烈で納得のいく理由なしに、生きたいと思うことが不可能」という精神状況で幼少期を過ごしたからだと思います。だから、”生きる”ということに対して非常に強い執着があります。命に対して常に誠実でありたいと思っているから、普遍的な正しさを証明することが不可能な世の中においても、せめて可能な限り自分が正しいと思う選択にこだわりたいんです。”


“社会がオススメするルートに背き、自分が好む方向へ進むのには精神的なコストが伴います。でも、命に対して無礼な態度は取れないと考えている私にとっては、生き易さを選んで信念に背くことの方がずっとコストが高いんです。”


“コアの価値観として信じるものは、外部からの強烈なインパクトによって破壊されるか、もっと重要なものが現れない限り変わりません。だから、具体的な世界で肉体が何年後にいようが何処にいようが、抽象的なレベルで最も大切なコアを理解していれば、常に自分にとって最適な決断が下せるのではと私は考えています。”