“聴く”ということについて

今日は、東京大学教育学部付属中等教育学校の公開研究会に参加してきました。

2時間の公開授業のあと、教科ごとの分科会、そして全体会という流れでした。
様々な気付きと学びを得られた素晴らしい機会でした。


いくつかの気付きを整理してみます。
まず、「聴く」ということについて。


今日の2時間目の生物基礎の授業(免疫の単元)では、画像にあるような課題が出されました。
個人的に気になったのは⑧の課題。
語尾が「~理由について納得できる説明を仲間から聞く」となっています。
僕自身が課題を作成する際には、「知る」「わかる」「できる」「考える」を基本形にしています。
このような語尾は新鮮でした。
最近「聞く力」というものについての情報がいくつかあり、気になっていたので、「聞く」ことについての2つの認識をまとめてみました。

①「聴く=スキル」という認識

「~納得できる説明を聞く」という課題について、単に「説明する」という課題だけでなく、「聞く」という課題を設けることによって、アウトプットとインプットの両方の機会を体験させようというねらいなのだと思います。
さらに、「納得できる説明」とあるので、納得できなければ納得できるまで対話を通して深めていく必要が出てくるところも面白いと思いました。


アクティブラーニングというと、「アウトプット」の活動をイメージしがちですが、それを受け取る側の「聴く力」が同時に重要です。
「聞く」と「聴く」は異なります。
さらに、「訊く力」も重要なのだと思います。
「伝える力=スキル」であるのと同様に「聴く力=スキル」なのだと感じました。


②「聴く=承認」という認識

相手の話を聴くことは、相手に承認を与えることになる、と聞きました(「聞く」より「聴く」なのでしょう)。
このことを感じた話がありました。
全体会で、近くの人と3分間話すというアクティビティがあり、その時に、ペアとなった先生が、こんな話をしてくれました。


“今日のグループでの話し合いでは、独り言みたいにつぶやいたことでも、周囲の生徒が全てに反応してそれを拾っていたんです。
すごいなぁと思って、授業の先生に「普段から、誰かが何かを言ったら反応するように」と指導しているんですかと聞いたら、「そういうことは一切していない」というんです。
それでも自然にそういうことができるのはすごいですよね。“


独り言みたいなつぶやきでも、外部に発信していたら、何らかの反応を求めている可能性があります。
でも、それに対して反応がない、あるいはそれを煙たがられるようなことがあれば、授業での「安心感」が損なわれてしまいます。
一方で、それをいつでも拾ってもらい、かつそこから「対話」が生まれ学びを深めていけるようになれば、それは学習内容がわかる/わからないということではなく、教室での「存在承認」につながる。
そこから学びが広がり、深まるのでしょう。
「聴く=承認」という認識も、アクティブラーニングを考える上では重要な視点なのだと感じました。