「盛り上がる授業」≠「いい授業」

「盛り上がったけど思考停止しているワークショップ」と「沈黙しているけどダバダーと深く学んでいるワークショップ」!?


学校の授業についても、この記事と全く同じことが言えると思います。
研究授業などでも、「盛り上がり」が話題になることが多く、当然盛り上がっている授業が評価されます。
僕の『学び合い』も、授業観察では、「皆が学び合っているか」という観点からコメントをいただきます。
つまり、「学び合って」いない生徒がいたり、話し合いが盛り上がらなかったりすると、自動的に「改善の余地あり」となるわけです。
でも、本当はそうではないと思います。


見えにくいものを「見える化」するためにどうするか
ミニッツシートのような簡単なものでも振り返りをさせることが一つの有効な手段だろうと思います。
それは、「教員に対しての見える化」という意味があります。
そして、より重要なのは、アウトプットを通じて、自分でも曖昧だったことが具体化される「自分に対する見える化」です。


どのような振り返りをさせるのが有効なのか、そこにどんな意味を持たせるのかを、盛り上がりという外面だけに依らない「効果測定」のために考える必要があります。


"もっとも興味深いのは、「盛り上がっている」という研修・ワークショップ状況の記述は、研修やワークショップの「プロセスを語る言葉」であって、「成果を保障していないという事実です。仮に、それらの成果を、受講生が「考えること」「行動を変えること」におくならば。"


"「盛り上がっているけど、成果はシオシオのパー」とか「盛り上がっていないけど、渋く成果を生み出している場」というのは存在し得ます。
  しかし、ややこしいのは、「盛り上がっている」というものが、もし学習者同士の相互作用の頻度であるならば、それは、第三者が外的に観察可能ですが、後者の「考えている」とか「行動を変える」というものは、その時点で外的に観察可能なことではありません。それは「個人の内部にある潜在的な要因」であるか、「未来にひらかれている要因」ですので、その時点での研修を語りうる言葉としては、やや不足があります。まぁ、帯に短し、たすきに流し、という状況なのかもしれませんね。"