だいぶ前に放送されていた「笑ってコラえて!吹奏楽の旅2013」を今日ようやく見ることができました。
高校時代吹奏楽部に所属し、コンクールに青春を捧げたものとして、色々と思うところはあるのですが、見る視点がだいぶ変わりました。
以前は演奏者目線で、それぞれの生徒に感情移入したり、合奏の緊張感やら賞レースの行方やらにどきどきしていましたが、今は興味の中心が完全に指導者になっています。
桜宮高校の一件以来、「体罰」についての様々な論考を見るに及び、自分自身もある種「狭い価値観」で生きてきたことに気付きました。
「ゴールド金賞」は目標ではあれ、目的にはなり得ないのです。
そこを指導者がどう語っているのか。そして生徒はどう受け止めているのか。
出た結果に対して、思うようなものでなかったときに、どんな受け止め方をしているのか。どう成長できているのか。
最後に語りかけるのはどんな言葉なのか。
取り上げられた学校はそれぞれに個性的で、共感できる部分もあればそうでない部分もありましたが、一つ強烈に感じたことがあります。
それは、「良い指導者に必要なのは”ジュテーム”の精神である」ということです。
褒め言葉や罰則で生徒を動かせば、それは外発的動機付けです。
でも、「褒められるためでも、罰を逃れるためでもなく、ただやりたい!」という気持ちで動けている生徒がいました。
彼らがどのようにしてそのような心の構えを持つことができたのか、それが一番知りたいのです。
きつい言葉があってもなんでも、生徒を「勝つための道具」として見るのではなく、「音楽を通じた人間教育」を目指している指導者には共感できます。
それは、表面上、優しい、厳しい、ということではなく、ジュテームの精神の有無が一番大きいと感じました。
生徒が内発的に動機付けられ、成長していくための要素として今自分が大切にしていることが、
●居場所としての安心感
●適切なハードルの設定(簡単すぎず、難しすぎず)
●安心感に裏打ちされた挑戦
のようなことです(まだ思考が不完全ですが・・・)。
ジュテームは、「挑戦に対する安心感」を与えます。
適切なハードルの設定は、自分の中で「指導者主体」をイメージしていましたが、むしろ全国を目指す学校では、生徒間でそれがなされているようです。
指導者は、そこで起こる数々の摩擦に対して、「ジュテーム」と「目的(音楽を通じて伝えたいこと)」を示す必要があるのでしょう。
そして、生徒はそれぞれに成長できる。
以前は、全国に行くような学校の「よき部分」を「見習って」と思っていましたが、今は上記のような視点でものを見ているので少し違ってきました。
自分が中にどっぷり浸っていたところだからこそ見えにくくなっていた部分が、少しずつ少しずつ見えてきたような思いです。
まとまりのない雑感です・・・。
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admin (水曜日, 20 4月 2022 07:19)
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