ネガティブな心に寄り添うこと

25日の夜から高熱を発し、ずっと活動できずにいましたが、今日ようやく回復を実感し、「活動」を再開できました。
以下は、25日の帰りの電車で書きかけた文章に補足したものです。


今日は、久しぶりに身体的にも精神的にもぐったりな一日となりました。
瞬間最大風速は今日でいったん止みますが、思えば試験作成あたりから風は吹き続けていたのだと思います。


試験作成、採点、成績処理、文化祭準備、成績会議、調査書等の作成、その他の雑務etc...


あまり弱音は吐かなくなっていますが、今日はさすがにぐったりしました。
退勤前は態度も悪くなってしまっていたと思います。
よろしくありません。


最近、「Facebook鬱」が増えているなどという話も聞きますが、確かにFacebook上には基本的に「明るい」話題が溢れています。
僕自身も、できるかぎり「生産的な」発信を、と普段は考えています。
でも、今日は、「全体に公開」で、こんな発信をしてみます。


人間は弱い生き物です。
だから、いつも前向きに、ポジティブに生きることは(少なくとも僕にはまだ)なかなかに難しいのです。
でも、そんな自分もOKなのです。
落ちるときは落ちるしかないのです。
僕の大好きなMr.Childrenの曲には、ポジティブソングが多いですが、弱った心に寄り添ってくれる曲も多く存在します。
そんな曲も、僕は大好きですし、幾度も助けられてきました。
いつも聴きたい曲ばかりではありませんし、普段は飛ばすことが多い曲もありますが、ある時にはその曲を何よりも欲するときもあります。
Mr.Childrenの曲は、僕の人生のほとんどの場面で寄り添ってくれています。


Facebook等で明るい投稿をする理由は、「幸せのお裾分け」なのかもしれません。
しかし、それを「幸せの押し売り」と感じることもあり、それは「Facebook鬱」にもつながることでしょう。
逆にネガティブな記事は、「不幸の押し売り」になるのかもしれません。


すべての感情にいつも寄り添うことはできません
理解できないものも時にあります。
でも、僕が見ている限りは、(僕の持つ狭いフィルターの外の広い世界では、)誰かが誰かに寄り添っているように思えます。


Facebookを含めて、SNSは「感情の増幅器」とも言われます。
使い方を間違えれば、感情の暴走を許し、望ましくないうねりを生み出すことにもつながります。
でも、そこにある人間の「声」に耳を傾け、寄り添える感情に寄り添うこと
あるいは、単に自分から「声」を発すること
そのときには、それがポジティブであろうとネガティブであろうと、自分も他人も「多様性」の一つであると実感し
I'm OK. You're OK.
の心の構えを常に意識すること。
受け入れられないものに対して、できうる限り生産的な対話を試みること。
理想論に過ぎるきらいがあるかもしれませんが、そんなことを考えていました。
この記事は、誰かにとっては「不幸の押し売り」になるかもしれませんが、ネガティブな自分をありのままに受け入れることも大事だろうと発信してみました。