”臨場感”の大切さ

2014年6月交流会メモ④です。


グループディスカッションで、ある学生さんが卒業生のこんな言葉を紹介してくれました。
「結局、自分の臨場感のあることしかできない」
すごくいい言葉だと思います。

 

卒業生として来ている皆さんは、話を伺っていると、かなり似たような感覚を持っているように思います。
・どんなに辛くても3年くらいは頑張れ。それで身に付くことは絶対に無駄にならない。
・能力が高いということよりも、チームとして働いて成果をあげることが大事。
・挫折経験が人間を成長させる。
etc...
でも、この話が響くかどうかは、結局「臨場感」なのだと思います。

 

例えば、「挫折が人を成長させる」という言葉は、過去に挫折によって成長できた実感のある人にはすごく共感できるし、響く内容だと思います。
あるいは、今まさに「挫折」の中でもがきくるしんでいる人にも響く可能性が高いでしょう。
一方で、「人生で挫折なんかしたことありません」という学生さんにはおそらく響かないと思います。
というより、実感が伴わないことにより、何のことやら理解できず、「ふーん」で終わってしまうのだと思います。

 

人から聞いた話の内容は、全て同じように聞けるわけではなりません。
インプットの際、「重みづけ」をしています
すごく響く話は、重みづけの係数が大きい。
逆に、重みづけの係数がゼロ、つまりスルーということも当然あります。
その「重みづけ係数」に大きく影響しているのが「臨場感」だということです。

 

僕自身の経験でもこれを実感することがありました。
『学び合い』を始める時に、西川先生の書かれた「手引書」を読み、ほとんど理解できませんでした。
「スタートブック」と「ステップアップ」は読んである程度理解できたので、それをベースにして、「自分なりの学び合い的授業の展開」を始めました。
そこから、PDCAサイクルを回して、方法や考え方が少しずつ変わっていき、1年後に「なんとなくこうかな」という段階まで来たところでもう一度「手引書」を読みました。
そこで、衝撃を覚えました。
「あれ、ここにこんなことまで書いてあるではないか・・・」
「一年前の自分がそれを理解できなかったこと」が、一年後の自分には理解できないのです。
書いてある内容は変わっていません。
変わったのは自分です。
内容の「重みづけ」も変わっていました。
その全ての要因は、1年間の実践でもがいてきたという「臨場感」に他なりません。

 

「結局、臨場感のあることしかできない」
これは、すごく深い言葉だと思います。
関連して思い出した話を2つ記します。
一つは「ブッダとシッタカブッダ」というマンガの話。
主人公のシッタカブッダが「空」という漢字を見て、「そら」と読みます。
次のコマで「から」と読みます。
次のコマで「くう」と読みます。
字が変わっていないのに、どうしてだろう。どうやら変わったのは字ではなく自分自身らしい、というオチです。
もう一つは、ブラームスの話です。
ブラームスの4曲の交響曲は、年齢によって聞こえ方が変わるそうです。
20代、30代、40代、50代・・・同じ曲なのに聞こえ方が変わるのは不思議です。
でもつまりそういうことなのだと思います。

 

グループディスカッションの中で、ある卒業生が「色んな映画を見よう」という話をされました。
それに加えて、僕は「同じ映画をしばらく時間をおいてから見よう」と語りました。
以前とは、それぞれの場面、セリフへの「重みづけ」が変わって、全く違った印象に変わっていることがあります。
この人物はこんな深いことを言っていたのか!という気付きがあります。
それは、その人が積み重ねたきた「臨場感」によるのだと思います。
だから、できるだけリアルな体験を積み重ねて、多くの「臨場感」を感じていきたいと思うのです。