あと半年で卒業する人へのアドバイス

前回に引き続き、前期終業式で配布した学級通信の後半部分を転載いたします。

 

高校卒業以前と以降の違いは何か

上記の問に対して、普遍的な絶対解は存在しません。
あるとすれば、それぞれの納得解です。
もちろん、「違いなど何もない」というのも一つの納得解としてあり得ます。

 

僕自身の考える納得解は
高校まではセーフティーネットのある中で失敗する自由がある
ということです。

 

大学、あるいは社会には、「厳しさ」があります。
もちろん、それと同時に「優しさ」もありますが、失敗したときのセーフティーネットという観点でいえば、高校までの世界が充実していることは間違いないでしょう。
高校には、皆さんが何を考え、どう行動しても、それを見守り、厳しさと優しさを持って接してくれる大人がいます

 

失敗しないように生きるのは苦しいものです。
一方、「人間は失敗するものだ」と受け入れて、それをその後の人生の糧と思って生きていくのは、勇気がいるかもしれませんが、生産的であり有意義なものです。

 

高校生である皆さんが有する「セーフティーネットの中で失敗する自由」を、最大限に生かして欲しいと思います。
残された時間はあと半年。
半年「しかない」、ではなく、半年「もある」のです。
恐れることなく、挑戦し、大いに失敗し、多くの学びを得て卒業して欲しいと願っています。

 

卒業までに目指してほしいこと

卒業までに、以下の2つのことを意識してほしいと思っています。
「自由の相互承認の感度」「周囲の人間との関係性作り」

 

人は皆、基本的には「自分が生きたいように生きたい」、つまり「自由に生きたい」ものです。
しかし、誰かの自由と他の誰かの自由は対立することがあります。
それでも、皆が自由に生きるためには、「皆、自由に生きたいんだなぁ」ということをお互いに認めるところから始めるしかありません。
これは「自由の相互承認」という考え方です。
そして、お互いの自由がどうすれば実現できるか、様々な経験の中で感じ、つかんでいくことが必要です。
これは、「自由の相互承認の感度」を養うということです。

 

学校という場所に、様々な人間が集まり、意味があるのかないのかわからない勉強をただ続けていく。
そんなある意味では「無駄」に思えるようなシステムでも、「自由の相互承認の感度」を学ぶにはこれ以上ない最適な場所といえます。

 

また、自由に生きるためには、自分ひとりの力だけでは十分ではありません。
時に、誰かに頼り、「助けてください」と言う必要があります。
それは恥ずかしいことではなく、むしろ適切に助けを求める「能力」と言えます。
その能力を十分に機能させるためには、前提があります。
それは、「助けてもらえる関係性の構築」です。

 

人間の関係性は、網目状になっています。
ちょうど、生物の食う・食われるの関係性を「食物連鎖」という直線的で単純なイメージではなく、「食物網」というより複雑な関係性で理解する必要があることと似ています。
「良い関係性の構築」のために、ひたすら人にへつらい、いい印象を持ってもらうということは必ずしもいい戦略ではありません。
それは卑屈で息苦しい生き方でしょうし、何よりそんな気持ちは見抜かれてしまいます。
「良い関係性の構築」のために、僕は以下のことが大事だろうと考えています。
・信念を持ち、それを貫く強さ
・状況によって他人と折り合いをつけられるしなやかさ
・他人を認め、学び、吸収しようとする謙虚さ

 

実はこれらは、先ほど述べた「自由の相互承認の感度」を養うということに大いに関係しています。

 

今、社会では、「質保証」というテーマで様々な議論がなされています。
例えば、都立高校を卒業した生徒には「最低限この程度の質を持っていてほしい」というものの具体的なイメージを議論しているわけです。
わかりやすいのは、「学力」がどこまで定着しているかということでしょう。

 

僕は「質保証」という言葉には違和感を覚えますが、あえてそこに正対し、答えを出すとするならば、今述べてきたようなことを身につけて卒業してほしいと思っています。
それは、高校卒業以降の人生のどんな場面でも大切ですし、皆さんの人生を真に豊かなものにするための基盤となるはずです。

 

卒業までの時間を、本当に一日、一時間、一分、一秒を大切にして、後悔のないように中等教育の課程を終えてほしいと願っています。