”選んだ選択肢を正解にする”生き方

子どもとのやりとり。
袋に入った何種類かの飴から、一つ選んであげています。
「どれが食べたい?」と聞くと、「全部好き」と答えます。
この質問に限らず、「どれが一番好き?」という質問に対しては、ほぼ必ず「全部好き」と答えます。


実際に飴をとって、どの味かが分かった後には、「これが一番食べたかったやつ!」と嬉しそうにいいます。
たとえ、それが何の味だったとしても、です。


本人は、深いことは何も考えずに、自然とやっていることなのだと思います。
でも、この発想を自然にできてしまうのは、ものすごく「幸せの感受性が高い」状態だなぁと思います。
正直、そんな生き方は、とてもうらやましいです。


「正解を選ぶ」という発想だと、きっと「あの飴が取れるといいな・・・」と思ってしまって、その飴が取れたら「正解」で、違うものであれば「不正解」になってしまうのでしょう。
でも、「選んだ選択肢を正解にする」という発想だと、「何が起きてもハッピー」です。


本当の意味で「正解主義から脱する」というのは、「唯一解、絶対解のない世界で、自分の納得解を得ようとする」というのがまずあると思います。
でも、「選んだ選択肢を正解にする」というのも、「正解主義から脱する」ための一つのアイデアなのだろうと思います。


朝の何気ないやりとりから、ふとこんなことを考えてしまいました。