表現したいものがあるか

「おいしいものを食べた」ときのことを考えてみます。
すると、「このおいしさを何とかして伝えたい!」と思います。
でも、それがなかなか難しいのです。
テレビのグルメレポーターなんかも苦労しているみたいです。
でも、何とかして伝えようとするから、色々なことを学び、試し、表現できるように経験値を積むのだと思います。


積み上げ式の学びは、「Aを学ぶとこんなことができるようになる」「Bを学ぶとこんなことができるようになる」というように、「道具」を一つずつ増やしていくイメージがあります。
しかし、いくら「道具」を増やしても、それだけでは意味がありません。
そこに、「表現したいもの」があるかどうかが大事なのだと思います。
逆に、「表現したいもの」があれば、「そこに必要な道具を探して獲得する」という学びになるはずです。
この欲求は、学びを加速することでしょう。


「おいしいもの」だけでなく「人間の心の揺れ」など、「表現したいもの」に突き動かされて、人は学ぶのだと思います。
「学ぶ理由」は、これだけではなく他にもありますが(純粋に知りたいという欲求など)、「表現したい」という欲求は大きいと思います。


「道具を与える」のではなく、「表現したいものと出会う」ような活動
そこでは、「わかる」「できる」ではなく「感じる」という活動が大事になると思います。
このあたりは、「STEMからSTEAMへ」という流れともつながりを感じます。