『超AI時代の成長戦略』読書メモ

落合陽一(2017年)『超AI時代の成長戦略』大和書房
読書メモ

●「趣味」の話
p56
”能力的に取り替え不可能な人類が存在しなくなったら、趣味ぐらいしか差が見えなくなる”

p58
”機械が代わりに労働をするようになると、本来は可処分時間が多く生まれるはずだ。その時間を用いて、自分のオリジナリティーや個性、あとフェチズムを強化していくことが、これから先、仕事として活きていくことになるだろう。ワークアズライフの世界にとって趣味性は非常に重要なものだ。”

「自分にしかできないこと」を裏打ちするための「趣味」。
あまりそういう視点はなかったのですが、「ワークアズライフ」の視点からは「どんな趣味を持つか」ということは重要なことであるということは理解しました。
自分自身は、例えばこうして文章を書くことがある意味「趣味」で、それが自分の「個性」を生んでいるということもあるのだと思います。
それから、テレビや読書で、とにかく乱雑に大量にインプットする時間も好きです。
それは、日々の思考や、ここでのアウトプットにつながっていることもあります。
また、「趣味」ということで言えば、やはり音楽鑑賞は自分にとって重要で、それも「感性」という点から考えれば重要ですし、仕事にもつながる自分の個性をつくるものなのだろうと思います。

●「遊び」の話
p66
”あらゆるスポーツや運動は、そのようにあるフレームの中で、問題、解決、報酬という形でゲーム的に遊びとして定義ができる。その遊びによって金銭的利益を生むか生まないかは報酬では関係がないし、それが誰かの役に立つか立たないかというのも関係がない。”

p67
”今後の「仕事」では、自分でゲーム的なフレームワークを考えて「遊び」にしていくということが重要になってくる。”

p68
”射幸心としての「ギャンブル的な報酬」と、収集欲としての「コレクション的な報酬」。それと、より体感的な「心地よさの報酬」というのもあるだろう。”

p69
”あなたが何の報酬で喜ぶのかということを意識して、「遊び」として人生をデザインしていくことが、これからの時代のキーワードになるだろう。”

「仕事に遊びの要素を入れていく」とか、「自分が何の報酬で喜ぶのか」とか、そういう視点だと、考えるべきことが見えてきます。
実は、本を読みながら、「自分がどんな”報酬”を得ることが喜びなのか」と聞かれても、うまく言語化できないということに気付きました。
先日の「感動」の話もそうですが、今の自分が直面している一つの壁の正体だと感じます。
また、「仕掛学」と「遊び、報酬」の話はすごくつながる話だとも感じました。

●「会議」について
p104
”会議は、あるフレーム、あるゴールに向かって、どうやって最適解を求めるかを考える場だ。しかし、おそらく世の中にはそうなっていない会議が多くあり、会議という名のコミュニケーションの場になっている。”

p105
”どういうフレームで何をゴールにして議論するのかと言うことを決めた後、それをどうやって効率的に伝えるかと言う「伝達力」も問題になる。
そうなってくると、コミュニケーションの場になってしまっている今までの会議は、言いたいことをしゃべったり、誰に根回ししたら良いのかを考えたりすることが重要だったので、それがいらなくなってくる。”

p108
”もしプレゼンの機会があるとき、そのプレゼンが「エンタメ」なのか、それとも「効率のいい情報伝達」なのか、この2つの軸は一度、意識しないといけない。”

”実務色が強いプレゼンは、プレゼン資料を作る必要はない。
そのかわり、アジェンダがすごく重要になる。アジェンダは、あらかじめプレゼンの場に用意しておいた方がいい。そのアジェンダ通りに情報が伝達されていれば、そんなに準備はしなくても、アジェンダで常に思考されて、共有されている状態というのがベストだ。”

このあたり、ものすごく重要だと思います。
そして、重要でかつシンプルなことですが、広く共有されていないことでもあると思います。
僕自身は「会議ができるスキル」は高校生に是非とも身につけて欲しいスキルの一つです。
それを伝える際、このあたりの話も共有しておきたいと思いました。
すべてのプレゼンがテッドやジョブスのようでなくてもよいし、「目的」によって「方法」は変わるということだと思います。

●「知識」について
p126
”「ウィキペディアを調べれば十分な知識」というのは、持っていてもあまり意味はない。ただし、ここで重要なのは、完全に覚えている必要はないけれど、すぐにググれるくらいの知識は持っておかなければいけないということだ。つまり、1回は頭に入れたほうがいいと言うレベルだ。
暗記するためにノートにひたすら書いたり、何回も唱え続けたりすることはないけれど、ざっくりとフックがかかっている状態、おぼろげにリンクが付いているような状態が、これからの時代に理想的な知識の持ち方だと思う。”

「知識はどれだけ必要か」ということについて、後藤さんが指摘されているように「検索ワードを思いつく」程度の知識や、どうすれば知りたい情報にたどり着けるかの基礎になる知識は必須なのだと思います。
そのことが、非常にうまく言語化されているなと感じました。

●「コンプレックス」について
p152
”「何が自分のコンプレックスなのかを知っておく」という事はキーワードになってくる。そして、「隠さない」ということだ。
コンプレックスには2種類ある。
1つは、「強い憧れがあるけど、それが達成できない」というパターンと、もう一つは「他人から見て劣っている」というパターンだ。
まず、前者の憧れから来るコンプレックスは、実は無意味であって、人間はやはりできることしかできないから、できることだけやればいいだけの話と言うことになる。憧れてもいいが、それをコンプレックスに感じる必要は無い。
もう一つの「他人から見て劣っている」というのは、平均値と比べて低いことによるコンプレックスなわけだ。それも、「そこで戦わなければいい」という方法で解決できると思う。”

自分自身は、学生時代はコンプレックスのかたまりでした。
それは、後者のコンプレックスが中心でした。
今もコンプレックスを感じることがあります。
それも、後者のコンプレックスがほとんどだと思います。
でも、学生時代と違うのは、「そこで戦わなければいい」というマインドで、「自分には何ができるか」と自分に寄り添いながら建設的にものを考え、人生の戦略を立てられるようになってきたことです。
「何が自分のコンプレックスなのかを知っておく」ことと、「隠さない」こと、つまり「向き合う」こと。
大事だと思います。