大学で身につけてほしいこと

2019年初読書は、この一冊。


永田和宏(2018)『知の体力』新潮新書


八王子東高校での講演会でお話を伺って感銘を受けましたが、あらためて書籍を読み、「知の体力」について永田先生が述べている言葉は、共感できるものばかりでした。
例えば、冒頭にこんなことが書かれています。


大学というところは、自分に何も教えてくれない。この一言は衝撃であった。これまで手取り足取り、先生たちから教えられてきた高校までの教育、それらとは全く違った世界に今自分は足を踏み入れようとしている。それはまた、心が震えるような興奮であり、感動でもあった。”


”高校と大学をスムーズにつなげるのではなく、意識の上で断絶させるところから、大学教育を始めるべきだと思うのである。”


「大学教育かくあるべし」という強烈なメッセージに満ちています。
内容としては、こんなことが書かれています。


●大学は高校までとは違い、「正解」のないことを自分で考える場所。
●大学の講義では、「わかっていること」ではなく「わかっていないこと」を伝えるべき。
●「役に立つ」という価値観から自由になることが大事。
●学問は、「学び、かつ問うこと」であり、学び、それを受け容れると言う一方的な「知」の流れではなく、入ってきた「知」を「問う」という行為が重要。
●これから何が起こるかわからない想定外の問題について自分なりに対処するために必要なのが「知の体力」。
●「わかっていることを知る」ことは、「わかっていないことを知るための前提」という位置づけ。
●ある知識を得ることは、そんな知識も持っていなかった〈私〉を新たに発見すること。
●批判や考察は、まだその世界の常識に染まっていない新人、若者がやってこそ、インパクトがあり、パラダイムシフトにもつながる。
●大学において「落ちこぼれる」という体験をすることは、とても大切なこと。
●何か人生の生き方の選択を迫られたとき、〈安全なほう〉ではなく〈面白いほう〉から選ぶ。
●学生が大学に入って、最も経験して欲しいことは、自らの可能性に気づくということ。
●失敗体験こそが、次に同様の問題に直面したときに成功へと導く必須の布石。いつも手を差し伸べてなされる成功体験は、成功体験でも何物でもない。
●評価と言うものは、それが良ければ自信を持ってさらに励み、悪ければ、それを分析して克服できるように対策を練る、そういう使われ方をした場合にのみ意味を持つ。評価そのものが自己目的化してしまい、それに縛られてしまう評価への依存は本末転倒。
●自分を評価しようとしないで、あえて自分を宙吊り状態の不安の中に置き続けることから推進力が生まれる。


それぞれの主張に対して、自分なりに考えていることや、情報発信したいこと、言語化しておきたいことなど、山のようにあります。
特に、「高校教育の在り方」について。
この書籍では、(多くの大学の先生が思っているのと同様に)高校までの学び方をいったん忘れるべしとの主張があり、またそこから「大学教育かくあるべし」という論が展開しています。
それに共感できるからこそ、「高校教育かくあるべし」という思いが自分の中で沸き上がってきます。
それは、どこかで時間を見つけてあらためて書きたいと思いますが、まずは上記のメッセージに共感されたら、一読をおすすめします。
そして、この書籍を題材に「大学教育かくあるべし」「高校教育かくあるべし」について対話できるような場をつくれたらいいなぁとも思います。