「Most Likely to Succeed」から感じたこと

昨日は、「Most Likely to Succeed」の上映会に参加しました。
主催の明治書院の皆様、会場提供のハッシャダイの皆様、お世話になりました。


この映画はアメリカのあるチャータースクールでの取り組みを紹介したドキュメンタリーです。
以下の資料にある程度詳しい説明があります。
http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/mirainokyositu/pdf/002_giji.pdf
http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/mirainokyositu/pdf/002_03_00.pdf


冒頭からしばらくは、今の時代になぜ教育改革が必要なのかという背景が語られます。
その後、実際に学校の様子が紹介されます。
映画の中心は「1日5時間、1年間かけて準備する大きなプロジェクト」でした。
その中でも、2つのプロジェクトがフォーカスされていました。
1つは、「文明をテーマに、それを何らかの”装置”をつくって表現する」というもの。
もう1つは、「ローマ時代の”演劇”を現代風にアレンジして表現する」というもの。
また、これらのプロジェクトの「評価」は、最終的に「展示会」という日に保護者らを呼んで公開発表するという方法をとっています。


大まかには、この学校の発想に同意しますが、映画での見せ方に危惧を抱きました。
以下、いくつかのことについて述べます。


●教員の立ち位置
この映画では、教員は「できるかぎり手出ししない」というスタンスで、そこは共感できるのですが、それが「何もしないのが一番」という誤ったメッセージになっていないかと危惧します。
実際に、教員が具体的にどのように生徒をサポートしているのかを示した場面はほとんどなく、印象としては「放置」に見えてしまいます。
「これで本当にいいのか?」とクリティカルな思考をもてればよいのですが、「そうか、教師は何もしない方がいいのか」と単純に考えてしまうとそれは誤ったメッセージになりえます。


●「受験か非認知能力か」という二項対立
映画の中で、教員が生徒にこのような趣旨の質問を投げかけます。
すると、「やっぱり試験のための勉強がしたい」と生徒たちは口々に言います。
それを聞いて「簡単な質問だと思ったんだけど、予想と反対の答えが出てきたなぁ・・・」と受けていました。
もともと、「受験対策の詰め込み教育」に対する強烈な問題提起としてこの学校の取り組みを置いているのはわかるのですが、この二項対立は誤解を招くと思います。
現状、日本でも大学受験に向けた学習を必要とする高校生はかなりの数います。
その生徒たちに「それはいいから、もっと非認知能力を」と迫ることは、教員にとっても生徒にとってもなかなか難しいことかもしれません。
それに何より、これは二項対立などではなく、「受験も非認知能力も」と両方できるはずなのです。
苫野先生の「問い方のマジック」の典型だと思いながら見ていましたが、ここについてもクリティカルに見ないと誤解が生じると危惧します。


●プロジェクトの設定
ここで紹介されていたプロジェクトの成果物は素晴らしいものだったと思います。
しかし、僕には違和感がありました。
まずは、1日5時間という時間が本当に必要なのかという点です。
映画の中では、このプロジェクトから派生して自然とさまざまな知識が身につくとありましたが、見ている限りあまりそういったものも見られませんでした。
だから、先ほど述べたような二項対立になってしまうのだろうとも思います。
もっとコンパクトに、せめて1日2時間とかでやれればいいのではないかと思います。
また、プロジェクトの期間の長さも気になりました。
1年間かけて1プロジェクトは長すぎると思います。
映画の中では、展示会に作品を間に合わせられなかった生徒が紹介されていましたが、彼はその後も作品を作り続け、夏休みも返上で作業し、ついに作品を完成させるというところまで紹介され、「きれいな話」にまとまっていました。
でも、「失敗」した生徒には、そのような「続き」のない生徒もいるのではないかと思います。
その生徒たちが「失敗」をどう受け止めどう成長したのかがわかりません。
もっと短い期間で多くのプロジェクトに挑戦できれば、「失敗」しても「次」に向けた準備ができるのではないのでしょうか。
期間が長く、1日に取り組む時間も長いことは、必ずしもいいことばかりではないと思いますし、ここも誤解も招くのではないかと危惧します。

以上、三点述べましたが、この映画の取り組みを「絶対的に良いもの」としてしまうことからくる危惧です。
自分なりにクリティカルな視点で思考できるのであれば、いい思考の材料にはなると思いますし、この映画の問題提起はとても重要なことだと思います。
だからこそ、上記のような「誤解」を招くような見せ方はもったいないと感じます。


きっと、この学校の先生方はそれぞれに工夫して生徒と向き合いサポートしていると思います。
きちんとSTEMなどの教科横断的な試みをしながらも自然と教科で身につけていたような学力も伸ばしているのだと思います。
また、映画で紹介されていなかったような小さいプロジェクトも行なっているのではないかと思います。
その「見せられていないもの」にも目を向けつつ、自分なりに考える必要のある映画だと思いました。