遅刻・欠席によって失われるものとは

以前の勤務校での話です。
僕が異動したとき、まだ「3遅1欠」制度が残っている学校でした。
これは、「3回遅刻で、欠席1回分とカウントする」という制度で、安易な遅刻に対する抑止力になると考えられて、導入していた学校も昔は多かったのではないかと思います。


しかし、ある時、この制度をやめようという流れになりました。
遅刻が認められるのは授業開始15分後までで、それ以降の入室は全て欠席になるというのは変わりません。
すると、当然、こんな意見が出てきます。


何回遅刻しても欠席にならないのなら、毎回必ず欠席にならないギリギリ15分遅刻で来る生徒が出てくるのではないか?


ここでは、「遅刻が欠席にリンクしている」ということで、「遅刻をすると損をする」という風になっています。
この立場で考えれば、例えば「遅刻1回につき、平常点から何点減点」のようなことをすれば同様の効果が得られるかもしれません。
しかし、僕はこのような考え方は違います。
遅刻をしたときに失われるものは「出席の記録」でも「平常点」でもなく、「信用」だと思います。


授業の中で「人に助けを求める力」の重要性を伝え続けています。
それは、「恥やプライドを捨てて素直に人に頼れる力」という側面に加えて、「助けを求めたときに助けてもらえる自分であること」という側面も重要です。
そのためには、周囲と折り合いをつけ、信頼関係を築いておくことが重要です。


先ほどの「遅刻問題」を考えるために、ここでは教員と生徒の関係で考えてみることにします。
「遅刻はしないでほしい」という教員に対して、平気でいつも遅刻してくる生徒は、折り合いをつけることができていないわけですから、「信用」を失います。
そうなると、その教員との関係性は悪くなります(教員も人間なのだからそういうことはあると思っています)。
その生徒にとっては「この先生と関係性が悪くなってもどうってことない」と思うかもしれません。
でも、人間関係は純粋な「1対1」ではなく、また「直線的」でもなく、「網目状」になっています(食物網のイメージです)。
ですから、「ある先生との関係性が切れる」ことは、「その先生がつながっている人たちとの関係性も悪化させる」ということが十分にありえるのです。
例えば、別な先生から「ある生徒から進路の相談を受けているんだけど授業で教えていない生徒で・・・先生授業持ってたと思うけど、どんな生徒なの」と聞かれた際のやり取りがその生徒にとって不利なものになるかもしれません。
あるいは、在学中あるいは卒業後に、自分がとても「つながりたい!」と思った人がその先生の知り合いだった、ということがもしあれば、関係性があれば紹介してもらえるかもしれませんが、それができていないとそのチャンスを失う可能性もあります。


つまり、「信用を失う」ということは「関係性が切れる」ことにつながり、それは「1対1の関係性」だけでなく、「その先に広がる網目状のネットワーク」にも悪影響がある、ということなのです。
だから、僕は「平気で遅刻をするということはそういうことだから、それを理解した上で、自分で判断してほしい」と伝えましたし、今も基本的には考え方は変わっていません。


なぜ、昔の話を持ち出して、今こんなことを書いているかというと、「3年生の授業の欠席」が気になったからです。
「受験に関係ない科目」を中心に、自習をするために授業を欠席するということがもしあるのだとしたら、それがどのような意味をもつか、それを伝えるためにこの「網目状の人間関係」の話をしました。
自分自身も、このような視点での「最低限の折り合い」はつけようと心がけてはいます。
逆に、上記のリスクをすべて引き受けた上で、「積極的に関係性を切る」ということもしたことがあります。
何でもかんでも折り合いをつけてうまくやれることばかりでもないと思いますし、自分の「メンタルヘルス」との折り合いも重要なことだと思います。


いずれにせよ、「点数」とか「出席」という目の前の損得ではなく、「信用」というものの価値を認識し、その上で人間関係にどう折り合いをつけていくかということは、常に大事なことだと思いますし、是非高校生にも伝えておきたいことの一つです。