「なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?」メモ

「なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?」、読了しました。
こんなことを書いて発信することができるのか・・・と衝撃を受けました。
学校改革の様子、特に初期の職員室や教員の状態に関する記述を読み、読んでいる僕がドキドキしてしまいました。
「どこも大変だ」と思うと同時に、「そこからのスタートで4年間でここまでできるんだ」という希望を強く感じました。
この書籍を世の中に発信してくださった日野田先生に感謝です。


自分のやっていきたいことが、かなりの部分ここに書かれすでに実践されていましたし、今の自分には到底できないような圧倒される実践も書かれていました。
僕自身は、イノベーターではなく、アーリーアダプターと自覚します。
その上で、日野田先生の考えたことや実践されたことを意識しつつ、自分なりの方法で色々勝負してみたい、そんな気持ちがふつふつと沸き上がってきました。


「自分の人生の経営者」として、悔いのないように人生を生き抜きたいと思います。


以下、読書メモです。


英語力養成のために土曜特別講座を開講。
真の目的は、「世界のトップエリートと勝負ができるくらいの思考力」、そのためにまずは「マインドセット」が必要。


とにかく、先生たちが困っていること・やりたいことを徹底的にヒアリングする。
会議では、お互いに何を発言しているのかを監視するように見ているので誰も何も言わない。
こちらがしたかった部分と、教員の意見がリンクしている部分から順番に広げる。
最終的には緩やかにボトムアップで改革が進んでいく体制をつくるのが目的。


1年目はほとんど何も変わらなかった。
人間関係が希薄で、誰も本音で話さなかった。
面談でポロっと愚痴の一つを聞けるようになったのは、2年目の半ばを過ぎてから。


最初の3か月は眠った記憶がない。
段ボール20箱分ほどのノートに、すべての想定される質問や職員会議でもやり取りのシミュレーションを書き出していた。
3年先のストーリーまで数千パターンを考えていた。


人間関係がうまくいっていないとき・もめているときは、たいてい誤解とコミュニケーション不足が原因。
まずは小さなプロジェクトからみんなで前向きに新しいものをつくり、議論をすれば、誤解も自然に解けていく。


飲み屋での文句と多数決は禁止。


3年をかけて「正しさ」と「効率」という名の暴力をつかい、トップダウンをしても何も変わらない。
でも3年かけて丁寧に積み重ねれば、二度と元に戻ることはない強力な集団になる。


「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」を議論する。


全ての会議を公開に。
人事とお金関連以外はすべて公開。
席を決めない自由なフリーアドレスの職員室の一角で、誰が聞いてもいいという状態で行う。
教員同士の疑心暗鬼が減った。
すると、「安心」が「チャレンジ」を生む。


「いかがなものか」という病


リベラルアーツはなぜ、フリーダムアーツと呼ばれないのか。
フリーダムは制度内における自由。リバティーは「本質的な自由」と定義することもできる。
「本質的な自由」の対象言語は、共同幻想である「常識」。
ここで言う常識とは、私たちが勝手に信じている共同幻想。これをどうやってぶち破るのか、それがリベラルアーツの真髄。


禅問答と言うリベラルアーツを捨てた日本


大人はリスクヘッジをする。子供たちには失敗してもいいから好きなことをさせる。


それぞれの先生たちに良いところがある。生徒にも良いところがある。人権と哲学は大切にされなくてはいけない。批判はいいけれど、お互いに非難するのはやめよう。そうすればみんな居心地がいいし、居場所ができる。みんなにとって居場所があるという安心感がない限り組織は決して動かない。


人は失敗したときに初めて自分とは何かを知る。同時に、対話によって「対象化された自分」を知る。
人に定義されて初めて「そんなふうに見えてたんですね」と知る。


自分の人生の「経営者」として生きる。


社長も会社員もただの役割。