自分が体験すると見えること

昨日のプログラムで、後藤さん、白川さんのプレゼンの後に、参加者同士の交流の時間がありました。


内容は、
①アイスブレイク
英語で自己紹介
→持っている「質問」をお互いにする
→終了後に質問カードを交換し、次のペアをつくる
※最低でも5人とやりとりするように、との指示。


②課題の掘り起こし
ホワイトボードに「課題だと感じていること」を思いつく限り書き出す
その後、移動して、気になったものに印をつけたり、コメントしたり、対話したりする。
しばらくしてから、「気になったコメント」について全体で短時間共有。


●体験してみて
主催者側からの「アクティブに対話して!」というプレッシャーを強く感じてしまいました。
例えば、ホワイトボードと向き合って熟考している時に、「手が止まっていますよ。それしか課題がないんですか?もっとあるでしょう。どんどん書きましょう」と促されるのは、「もっと考えなさい」と指摘されているようで、違和感がありました。
また、その後色々なホワイトボードを見にいくフリータイムの時も、僕自身は「探究のタネ」や「探究の仲間」を膨大な情報から拾おうと熟考してしまい、結果として一人でじっくり思考してしまったわけですが、そんなときに「もっと対話して」と声かけがされると、これも「とにかく対話すべし」というプレッシャーを感じて違和感がありました。


元来「人見知り」である自分のマインドセットが良くないということは十分自覚はしているのですが・・・今回「生徒のような立場」を経験して、気付きがありました。


・誰の脳がアクティブかは外からはわからない。
・「どんどん話そう」という声かけだけは不安感をあおる(少なくとも、目的・目標に対して必要な方法であることの納得感が必要)。
・「一人で考えてみてもいいですよ」という声かけも大事(これも目的・目標によりますが)。


頭にずっと残っていたのが、この言葉でした。
「探究は一人でするもの、探究のタネは協働にある」


「一人で思考を整理する」ことの必要性に対して、「人と対話する」ことの必要性が上回らなければ、なかなか積極的な対話に動けません(少なくとも僕自身は)。
今回は、テーマも大きかったので、思考に要する時間も様々だったと思います。
その凸凹を合わせるために、例えば「事前課題」として一人ブレストをしてきた上で対話の時間を設ければ、対話や交流ということについてはより密度の濃いやりとりになったように思います。


僕自身は、僕が普段やっている授業に、本来はあまりフィットしない人間なのだろうとあらためて感じました。
でも、それは「初めての人と交流するのが苦手」なだけであって、「自由に思考を広げる」という点においてはものすごくフィットするだろうとも思います。
そんなさまざまな背景があっても、(普段の授業も含めて)参加者が「共創」のたまに意義深い対話ができれば一番いいと思います。
それはやはり難しいなぁと感じると同時に、必要な仕掛けなのだろうなぁとも思います。


ただ・・・ここで書いたような一連の個人的な感想は、主催者側からしたら「そういうマインドこそ、このブートキャンプでぶっ壊せ」ということなのだろうと(頭では)理解しています。
MITで、日本の「エリート」たちが他の国の留学生がガンガン対話する横で何も話せず存在感がない、という課題が、まさに僕にも当てはまっているのだろうなぁともメタ認知します。


結果として、色々なメタ認知と気付きが促進されるアクティビティでした。
ここまで含めて、主催者の意図通りなのでしょう・・・きっと。