2018年9月22日 ベネッセ主催研究会
学校組織で取り組む『探究』の指導デザインを考える研究会~『探究』の導入による学校改革の可能性~
@新宿ベルサールセントラルホール
パネルディスカッションメモ
●パネリスト
佐野和之(かえつ有明中学・高校)
木村健太(広尾学園中学・高校)
田中潤(三田国際学園中学・高校)
畑文子(埼玉県立大宮高校)
島津聡(都立八王子東高校)
●学校とは?
学校が存在している意義とは何か。
「幸せになるため」に学んでいるのでは(ウェル・ビーイング)
学校は生徒たちと未来をつくれる場所。
今を前提としない。
今「優秀」と言われている子が、この先も優秀なのか。
生徒が楽しむ、教師が楽しむことが、まずは大事。
どんなに社会が変わっても、自分で自由に、他者とも協働して意見をつくっていく。
各先生が自由にやったときに、とっちらからないように「ビジョン」が必要。
「してはいけないこと」を「してはいけない」と伝える日々。
「やること」を欲している生徒に「やること」を与える日々。
どっちも違和感。
学ぶ時の単位を変えていく。個人レベル、クラスレベル、興味関心の近いもの同士、など、様々なシャッフルが必要なのではないか。
自分の好きを見つけ、それを深めていけるようなしかけ。
●「面倒見の良さ」について
大学受験に向けての面倒見から、生徒の興味関心に寄り添うという意味での面倒見の良さへ。
「面倒見の良さ」によって承認を得ているのか教員ではないのか。
探究になったら、必要ないことは手放していかなければならない。
このバランスを考えた事前の準備はすごくするけれど、生徒が自力で進もうとするときに、「面倒見の良さ」がマイナスになるのではないか。
「面倒見の良さ」は再点検が必要。
「我慢できること」も含めて「面倒見の良さ」とすべきではないか。
もともと学校の方針として「面倒見の良さ」が一番にあった。
それが変わっていったときに色々な意見もあった。
こんなに失敗させてもいいのか?など。
「研究やりますよ」と声かけしてボランティアで始まったけれど、始まってみると、教員がずっと教えているようなことが起きた。
「先生が楽しむ」となると、「たくさん話したくなる」のは自然。誰も悪くない。
「先生たち、教えないでください」と伝えると、「教員が想定している答えにたどり着けるかどうか」という形式になりがち。
なので、テーマ設定に「世界のだれも知らないこと」という条件を後付けした。そうすれば、教員も答えを知らないので、上のような学びにならない。
「問いかけのスキル」はやっていくと磨かれるのではないか。それで少しずつ変わっていくのでは。
●探究を組織で広めていくには?
当初の「探究」は教員が一生懸命手を入れてしまっていた。
探究が目的になってしまっていた。プロセスになっていなかった。
探究を通じて何を育てるか、という視点が欠けていた。
どうしたらこれを拡げられるだろうと考えると、先生のマインドの内側にそれぞれの価値観がある。
バリューとマインドを近づけていくという作業をしていった。
校内研修と、個人の対話。トップダウンもボトムアップも。
教員のチームで、強みと弱みを把握して、チームで動くようになると主体的になってくる。
視察による先行事例で、「これしかない」と確信するメンバーを増やした。
「探究意見交換会」をつくり、反対の意見であっても、是非参加くださいという会をつくって、一気に進んだ。
「愚痴」は生産的なものではないか。
そこから対話が始まる。
「生産的愚痴」と呼んでいる。
●「問い」をつくる技術の指導とは?
研究テーマを考える過程では、例えば、生物だと小学生のような疑問が出やすい。
「寿命って何ですか?」など。
細分化してみるということをした。
「個体の寿命」はわからないけれど、「細胞の寿命」はけっこうわかっている。
「寿命」を「時間」で考えがちだけれど、細胞では「分裂回数」を考えなければならない。
そうすると、考える入り口になる。
こういうことは伝えてもいいかもしれない。
「自分が知っていることは全部教えてしまう」というスタンス。
「俺はここまでは知ってるけど、その先はよくわかんない」というようなやり取り。
「課題を決めさせる」という課題で、生徒から何も出てこない。
日々の生活で「困っていること」「疑問に思うこと」がない。
「覚える」などの学習に慣れてしまっている。
「体験させる」ことが大事。
理論よりもまずは体験。
「考え聞かせ」、読んでいる人がその場で感じたことをそのまま伝える。そうすると伝わりやすくなる。
教員自身の「問い」を「考え聞かせ」してあげるとよい。
「問いをひたすら出す」という時間をつくることが重要。
「問い」が出てきたら、ついつい答えたくなるが、とにかくたくさん問いをつくる時間をとる。
【担当者からのメッセージ】
●先生方の探究における悩み
・3つの「外」への遭遇
専門外
想定外
学校外
今までは、「外」に出ようとしてこなかった。
しかし、探究では逆になるだろう。
・探究実践の評価基準がない
●探究で変わる世界
「全員で同じ」課題、「同じ」ペース、教員は「指導」する
→「個別」に課題を設定、「異なる」ペース、教員は「伴走」する