”良い先生”とは何か

嫌われていたいい先生の話

 

「良い先生とは?」という問いを考える上で、材料を提供してくれる事例だと思います。

とても長いですが・・・一読する価値はあると思います。
T先生のやっていることすべてを肯定しませんが、少なくとも「思考停止」して理由もわからず保守的になっている先生とは違い、自分なりに思考し、自らの理念に基づいて働いている人なのだと思います。
以下に、一部(といっても長いですが・・・)を引用します。


”T先生は現実主義で、結果主義で、そしてとにかく公平だったのだ。
その点で他の先生たちとは真逆で、異質で……
だからこそ、大半の生徒や保護者から嫌われていた。”


”「ノートはメモを取りたいなら取ってもいいですけど……いや、こういう言い方すると、君たちはノートをとるべきだと『誤解』するんですよね。じゃあ『ノートは取らなくていいです』。別に怒ってるわけじゃないです。必要ないからです。だってワークに必要なことは全部書いてありますから。ワークの問題文を見て答えを言える、答えを見てワークの問題文のような解説ができる、まずはそれが大事です。……私も、黒板はメモ程度に使います。ノートの提出は絶対にありません」”


”「眠たいなら寝ててもいいですよ。たぶん、損するだけだから。その損が受け入れられるなら、本当に寝ててもいい。寝るなと言っているわけじゃない。本当に、何をどれだけ取り入れるかは選んでいいと言っているんです。自己責任の上で。ただし、いびきだけはやめてください。いびきは他の人に迷惑をかける。いびきをかいてしまう生徒には、寝ることは許しません」”


”上の二つがどんな風に保護者に伝わるかというと
「ノートも黒板も使わない、手抜き授業をしている」
「寝ている生徒がいても起こさない、手抜き授業をしている」
となるわけだ。”


”「あんな人のために、キレなくていい」
真顔だった。T先生は真剣な顔でまっすぐに僕を見ていた。
「あの人はもう終わってるんだ」
や、
「君が正しくてあの人がおかしいのは、職員室の先生はみんなわかってる。みんな言わないけど。君には未来がある。だから、あんな人をどうにかしようとして君の人生を台無しにしちゃ、絶対にダメだ」
やっぱりそうなのか!
「いいかい。キレちゃダメだよ。あんな人のためにキレちゃダメだ。殴ろうとか殺そうとか、そんなことしちゃダメだよ。あの人がダメで君が正しいのは、みんなよくわかってる。あんな人なんかのために君が損になる行動を取るのだけは絶対にダメだ。キレちゃダメだよ」
T先生は何度も念押しした。老婆先生が幼児みたいなのは毎度のことなので、そんなに僕は殺意のオーラをまとっていたつもりはないのだが(印刷後に生徒会室で生徒会役員たちにぶちまけてやろうとは当然思っていたが)、T先生はとにかく「終わってる人間の道連れになるな」と念を押した。
僕は呆気にとられていた。老婆先生が職員室の厄介者として君臨しているのはそれとなく感じ取っていたが、まさか「もう終わってる人」とまではっきり言うとは。
老婆先生は、現場の教壇に立つ最高齢の教員であるにもかかわらず「どうしようもない、駄目な例」として呆れられているのだ。ショックというより「やっぱりそうか」という納得しかなかった。大人でも、先生でも、並外れてダメな人はいる。T先生の言葉は天地開闢の一声だった。
そして何より、そんなことは僕に明かさないでいい。明かさない方がいい。ああ糸魚川くんカワイソーって他の先生みたいに見ておけばいい。僕を失望させるより、老婆先生を敵に回した方が100%やっかいだからだ。その言わなくてもいいことを、いちいち追いかけて言いに来てくれたのが、あの生徒に無関心、無愛想の塊であるT先生だったのだ。”


”良い先生って何だろう。
高校の頃、若いイケメンで、ガチの八つ当たりをするタイプの気分屋で、正直教え方も下手くそで、でも同棲中の彼女との恋話を授業中によくするから人気者、という先生がいた。あの先生はエロい話をしてくれるからいい先生、みたいな。
才能よりも努力を評価する!と言って、ノートに使われている色ペンの数や、授業を聞いていないだけの的外れな質問をしてもドコスカと加点していくような先生もいた。
案外、ツイッターでよく流れてくるクソッタレな先生が生まれる現状には、クソッタレなシステムを歓迎する生徒や保護者の大軍がいるのかもしれない。”