"頑張ったら報われる"の必要性

僕が、今とても大切にしていることに、「頑張ったら報われるモデルからの脱却」があります。
「頑張ったから偉い」
「頑張ったらいい評価がもらえる」
そんな価値観のまま成長してしまうと、「頑張ったのに報われない・・・」「自分より努力してないあいつの方が評価が高い・・・」というネガティブな考え方につながりやすいように思います。
それは「生きづらさ」につながるかもしれません。


だから、「たくさん時間をかけたから良い」とか「たくさん書いて紙をびっしり埋めたから良い」とか「試験前にはしっかり問題集を何度も何度も繰り返したから良い」という世界を早い段階で卒業してほしいと思っています。


そのために、例えば考査後の振り返りを使っています。
考査後に、高得点だった生徒に、どんな勉強をしたかについて話してもらっています。
すると、「問題集は解いていない。見ただけ」とか、「教科書読んだだけ」とか「授業でやっただけでノー勉」とか、そんな話が出てきます。
また、多くの生徒が「授業中に色々対話して考えるのはめちゃくちゃ大事」みたいなことも言います。
「頑張れば報われる」ではなく、「どう頑張ればいいか」を考えてほしいと思っています。


一方で、これは段階的なものなのだろうとも思います。
今関わっている生徒のほとんどは「頑張ったら報われる」経験をしてきていると思われます。
でも、その経験がない場合には、まずは「頑張ったら報われる」という経験が大事なのかもしれません。
色々なことに挑戦していく下地として、ある程度の自己肯定感や自己効力感が必要です。
「頑張ったら報われる」は、そういったものを育むものなのかもしれません。


だから、「評価」も多様であるべきなのだと思います。
必ずしも全員を同じ観点で評価する必要はなくて、むしろ、その弊害をしっかりと考えなければなりません。
だとすれば、必要なのは、「一律の評価」よりも、「個別のフィードバック」ということでしょう。