自分の問いを持つ大切さ

学習地図の作成が始まりました。
今回は「遺伝子」の単元です。
前回同様、「まとめ」以外に「探究」も選択できるようにしました。
あるクラスでは、8グループ中2グループが探究を選択。


1グループは、「障害と多様性」というようなテーマでブレインストーミングをしていたところ、話がどんどん広がっていったようでした。
そして(当然ですが)倫理的な話になり、「生物ではなく現代社会のようになってしまって・・・」と不安そう。
彼らの中で「教科の壁」は大きいようです。
しかし、「そもそも境界なんてない。あることを、生物学的に見たり、社会学的に見たり、という色々な見方で見ているだけ。だから、全く問題ない」ということを伝えました。
話は発散していたようですが、楽しそうでした。
どんなプレゼンになるか、今後の展開が楽しみです。


もう1グループは、議論の流れで、ある「実験」をしようということに。
すると、すぐさま「準備」をして、放課後にはもう実験を実施していました。
出てきた結果もとても興味深いものでした。
そして何より、やっている本人たちが楽しそうでした。


「探究」で大切なことは、「自分が本当に知りたい、深めたいと思っている問いと向き合うこと」だと思います。
そんな問いと向き合って、あーでもないこーでもない、と唸っている時間が最高の時間だと思います。


たまたま今日いらっしゃった方とも「"探究"の取り組みをどう広げるか」について話しましたが、どんなに小さくても「自分の問い」を持って楽しみながら、もがきながら思考し試行する場を設定してあげることだと思います。


「探究」というと、なんだか高尚なもののように聞こえますが、どんなに小さくても「自分の問い」を持つことが最も大切であり、その意味において「探究のタネ」はどこにでもあるだと思います。