言いたいことが公の場にでてくるために

僕がチーム作りの初期に大切にしているのは、「言いたいことが公の場にでてくること」です。
例えば、部活動でのミーティングを思い浮かべていただけばと思います。
ミーティングで、誰からも何も「言いたいこと」が出てこない場合、以下のようなことが考えられます。


①課題発見、課題解決のアイデアがない
②発言する内容はあるが、度胸がなくてできない
③発言する内容はあるが、発言を許さない空気がある


何が原因かによって、アプローチが異なるはずです。
②と③は同じように感じる方もいるかもしませんが、②の場合には、発言してもそれを非難するような空気はなく、単に本人の度胸の問題というような状況を、③の場合には、度胸云々ではなく、クリティカルな発言をすること自体が許されないような状況を想定しています。


②では、場に安心感を生み出すことが必要でしょう。
③では、何が「抑圧」の中心にあるのかを分析し、それを解きほぐす必要があるでしょう。


それでは、①のときはどうでしょうか。
僕は今、色々な場面で、この①の状況を感じています。
そもそも「言いたいこと」が特にないので、何も議論は起きません。
もしかしたら、何人かは②の原因で発言できていないのかもしれませんが、大半はそうではなく、発想そのものがないのです。


この状況を打ち破るために今考えているのは、「対話」と「会議」です。
課題発見を促し、その課題解決に向けた議論ができるように、場を設定し、初期段階ではファシリテーターの役割もするのがよいと思っています。
それがいい「触媒」となって「議論」が成立すれば、あとは自動運行モードに移行するはずです。
あくまでも、「教える」ことは必要最低限にして、「気付き」を促すことが重要だと感じます。
また、必要に応じて、全体での会議とは別に個別あるいは少人数での「対話」を入れることも考えています。


「みんなちがって、みんないい」は、何の議論もなく、無条件にすべてを認め受け入れるということではないはずです。
でも、「無邪気な事なかれ主義」のようなものが広がっているのではないかと危惧します。
その集団は、グループからチームに変容することなく、何となく楽しい時間を過ごすことになるでしょう。
しかし、それは、これからの人生を生きていく「力」を育てません。
「言いたいことが場にでてくる」ことは、チーム作りの大前提だと思っています。
そこから、いい「議論」ができれば、それはこれからの人生を生きていく「力」になるはずです。