「良きキュレーター」でありたい

最近、Facebookをじっくり見る時間が取れていません。
僕にとっては、Facebookから得られる情報は、それ自体に学びがあったり、「次」の学びの種を得ることができたりと、とても重要な位置を占めています。
しかし、「友達」の数も増えてきており、タイムラインには無数の情報が流れては消えていきます。
そんな中で、どのように自分にとって必要な情報を得ることができるでしょうか。


僕がこのところ十分な時間が取れない中で行っていることは、「特定の方の個人ページを閲覧し、そこからまとめて情報を得る」という方法です。
「この人が書いていること、シェアしていることは、自分の価値観に合致しているし、貴重な学びの源泉になる」と思える人がいます。
そこだけをねらって情報を取りにいくだけで、かなりのものが得られます。
そして、ワクワクしたり、「自分の小ささ」を思い知ったりしながら、次に向けてのエネルギーを補充できます。


「キュレーション」や「キュレーター」という言葉をよく聞くようになりました。
フェイスブックで色々な情報発信している人は皆キュレーターと言ってよいと思います。
僕にとって貴重な情報をたくさん発信してくださる方は、「この情報を誰かに届けたい」という志があってされていることと思います。
とてもありがたいことだと感じます。


僕自身のFacebook等での情報発信の最大の意味は、「届けたい相手に届けたい情報を届ける」ためです。
その相手とは、第一は自分が関係している生徒たちで、それ以外には、教員の皆さん、保護者の皆さん、教育に興味関心のある一般の方々なども意識しています。
その方たちに「”良い”教育とは?」「”良い”人生とは?」について考える材料を提供できれば本望です。
だから、自分自身も、誰かにとっての「良きキュレーター」でありたいなぁと思います。