”本当に答えを知らない実験”の価値

先日紹介した「アオキの死環」の実験。
生徒の感想に、こんなものがありました。


●結果がわからないのを模索しながら実験したのが面白かった。自分で導くことができたらもっと楽しかったと思う。中学までとの違いをひしひしと感じた。
●答えを知らない実験に取り組む機会がないので、答えを知るためにあれこれ考えるのが楽しかった。
●知らないことを班のみんなで協力して答えを探すということが面白く楽しかった。また、いろいろな実験をしてみてこれはこうではないなどといった議論がやはりとても楽しかった。実験も不思議なことが多く議論が盛り上がった。


また、これをきっかけに、「探究活動」を始めた生徒からはこんな感想がありました。


●本当に結論を知らない状態で実験するのが楽しかった。


生徒は、「方法が指示され、結論もわかっている実験」、いわゆる「レシピ実験」ばかりをやってきているようです。
もちろん、「レシピ実験」は全面的に否定されるものではありません。
実際に実験見てみることで、理解が進むことがあるかもしれませんし、何よりやってみなければわからない感動があると思います。
多くの実験を計画・準備されている中学校の先生方の苦労もはかり知れませんが、様々な体験を用意していただいていることは素晴らしいことだと思います。


一方で、理科の実験で「本当に答えを知らない」ものをほとんどやったことがないということには危機感を感じます。
これは、「知らない=不安で立ちすくむ」というマインドを育ててしまっているように思います。
「知らない=それを探究していくのがワクワクする」というマインドを育てるためには、答えがない中でも、ある程度安心がありつつ挑戦できるような体験を積み重ねていくのが有効だろうと思います。


「本当に答えを知らない実験」を、中学でも高校でも、もっともっと広げたいと思いました。