賢さの定義が変わる

「教育機関」を卒業し「リアル社会」に出ると、静かに変わっている「問題解決のルール」と「かしこさの定義」!? : 大人の「リアル社会」では何が求められているのか?


学生から社会人になる時、「問題解決のルール」「問題解決の際に発揮されるかしこさの定義」が変わってしまう、という話。
端的に、わかりやすく書かれていると思います。
僕が授業や部活、行事などで意識するのも、このような「トランジション」です。
現状では、圧倒的に「教育機関の考え方」をする生徒が多く、また「自分でやった方が早い病」と思しき生徒も多数います。
ここに述べられているような考え方ができるようになることを意識するだけで、学校教育はかなり変わるのではないでしょうか。
考える材料として、共有したい資料です。


"教育機関から社会人に、ひとが、役割移行(トランジション)を果たしていくとき、そのプロセスを、やや戯画的に極端に描き出しますと、下記のような「大きな変化」が存在することがわかります。すなわち、「問題解決のルール」「問題解決の際に発揮されるかしこさの定義」が変わってしまうのです。いつのまにか、静かに・・・。"


"問題解決で与えられる課題は
「与えられるもの」から「自ら設定するもの」へ
誰と問題をとくか、という問いには
「ひとりでとく」から「みんなでとく」へ
課題を解いているあいだは
「無言」から「相談しまくり」へ
課題をとくあいだに道具の利用は
「鉛筆とケシゴムしかダメ」から「コンピュータふくめて使いまくりへ」
  

このように、教育機関から社会人へのトランジションプロセスでは、「問題解決のルール」が変わってくるのです。
そして、そこで発揮されることが「かしこさ」にも変化が生まれます。
要するに、知らず知らずのうちに、「かしこさ」の定義が変わり、
「与えられた課題を、ひとりで、無言で、素手で、しこしこ解くこと」から「課題を自ら設定し、みなで目標を決めて、コミュニケーションを取りながら、前に進むこと」
に変わってしまうのです。"