“生きやすさ”と“幸せ”

南医療生協見学ツアー メモ③

南医療生協に息づく「おたがいさま」の精神。
それは、僕自身のビジョンである、「誰もが生きやすい社会」を体現するものだと感じました。
そして、さらにそれを超えていくものでもありました。
「生きやすさ」や「幸せ」について、見学しながら色々と考えることがありました。

すぐに思い出されたのが、障がい者雇用の取り組みで有名な日本理化学工業のウェブサイトにある、「幸せ」についての以下の記述です。

“人間の究極の幸せは、1つは愛されること、2つ目はほめられること、3つ目は人の役に立つこと、4つ目は人に必要とされることの4つです。
福祉施設で大事に面倒をみてもらうことが幸せではなく、働いて役に立つ会社こそが人間を幸せにするのです“

「おたがいさま」というのは、「困っている人を助けてあげれば、自分が困っているときに助けてもらえる」という意味があります。
しかし、この考え方だと、自分の身の回りのこともなかなか一人では難しくなっている高齢者の方などに対しては、「助けてもらっているけれど、何も助けてあげられることなんてない」と自己肯定感を下げるものかもしれません。
以前に聞いた、老夫婦で女性が要介護になったときに「夫に介護されて自分が何もできないことが許せない。これなら死んだ方がましだ」というような感覚も、ここに根差しているように思います。

「おたがいさま」の別な解釈として、「してもらう幸せ+させてもらう幸せ」という考え方もあります。
この考え方は、先ほど紹介した「人間の究極の幸せ」に根差しているものだと思います。
何かをしたら、相手からの感謝を感じることができた。
それだけでいいのだと思います。
平井堅さんの「思いがかさなるその前に」にこんな歌詞があります。

"肩を落とすキミを見る度に
連れ出すのは僕の方なのに
時々わからなくなるよ
僕が救われてるんだ"

これも同じことなのだと思います。

南生協医療には、この意味での「おたがいさま」が溢れていました。
だから、経済的な報酬や、直接的な「利益」がなくても、人が集まり、人が活動し、自然な笑顔が溢れるのだと思います。

僕自身は、「誰もが生きやすい社会」を実現するために、まずは「生きづらさを減らす」、つまり「マイナス要素を減らす」ことを考えていました。
逆に「プラス要素を増やす」ことは、例えば「夢・希望を持てる社会」となるのかもしれませんが、「夢や希望を持たなければならない」というある種の強迫観念から自由になるために、僕自身はこの表現は採用していません。
しかし、南医療生協の取り組みを見ていると、非常に自然に「マイナス要素を減らす」ことと「プラス要素を増やす」ことが両立していると感じました。

裏には、ものすごい困難と、それを乗り越えるための苦労、努力があったのだと思いますし、今だってそうなのだと思います。
でも、僕が会った方は、皆笑顔が素敵な方ばかりでした。
生きづらさを減らし、新しい夢や希望を持てる、そんなコミュニティがそこにありました。
見学の間中、「自分には何ができるだろう・・・」が頭の中をグルグルとしていました。
「与える/与えられる」という関係性ではない、「おたがいさま」の関係性をいかに構築することができるかがカギになると思いました。