建設的に意見をぶつけるために

「みんな違ってみんないい」という言葉があります。
僕はこの方向性が好きです。
しかし、課題を感じることもあります。

課題研究などのプロジェクト型の学びの際、学びの密度が低かったり、その結果として生徒が作成した独自の成果物が非常に「適当」なものになっていたりすることがあります。
そして、そんな状況でも、「みんな違ってみんないい」と、全てを肯定的に受け止めてしまうことがあります。
例えば、どんな内容のプレゼンテーションでも笑顔で拍手するような状況です。
生徒の実態にもよりますが、このような状況がずっと続くことは、生徒の「成長」にはあまり好ましくないと思っています。

もちろん、「生徒の実態に応じて」の対応は重要です。
生徒の自己肯定感や自己効力感が極めて低い場合には、とにかくこのような受容的な雰囲気を作っていき、誰もが安心して、自信をもって学べる環境を作ることはものすごく重要です。
しかし、そんな環境がある程度実現しているときには、「誰でも無条件でいい」ということではなく、クリティカルに指摘しあえる雰囲気が生徒の成長に必要なのだと思います。

僕自身は、教員の介入の程度を含めて、まだまだできていないと感じます。
単に「指摘し合う」というだけでは、殺伐とした雰囲気になりかねず、自由な発想が抑圧されてしまうかもしれません。
一方で、何でも受容的だと「もったいない」時間が流れてしまうことにもなりかねません。

皆が、学びを楽しみながら、建設的に意見をぶつけ合って、お互いに高め合える。
そんな状況を実現するのに、「教師が何をするか」ということだけでは難しいと思います。
やはりポイントは生徒自身の「相互評価」と「自己評価」だと思います。
それが、生徒自身の適切な「振り返り」になり、自律的に成長していけるような方向性を意識して、「教師は何をするべきか?」を考えなければなりません。

現状、相互評価や自己評価をさせると、適当に取り組んだことはある程度きちんと可視化されている感覚はあります。
つまり、教師からの指摘などなくても、生徒はある程度メタ認知はできていますし、相互評価も「適切に」できるのです。
その振り返りを、「次の学びや成長へのモチベーション」にいかに繋げるかが課題です。

授業だけでなく、部活動や行事も、一つの大きなプロジェクトなので、同様の課題があると思います。
それぞれの場面で、自分なりの納得解を基に行動していくしかありません。