評価について考える

火曜日に、ある大学生が授業見学に来てくれました。
生徒がグループ活動している様子を見て、「こういう授業はどのように評価しているのですか?」と質問されました。
評価については、僕自身もまだ今のやり方に確信はありませんし、まだまだ改善の余地があると自覚しています。
今の自分の実践の一番のウィークポイントであると思っています。
でも、基本的な考え方や方向性はかなり固まってきています。
「質問」されて、それに対して「回答」する中で、考えていたことが言語化され、理解が深まることがよくあります。
今回のケースもそれでした。
「評価」について、火曜日に説明したことを基に、今の時点の理解を整理しておこうと思います。

まず、評価の目的とは何かを考える必要があります。
高校で「評価」というと、多くの場合、それは「評定」をつけるための「数値評価」です。
しかし、「評価」には大きく3種類あります。
診断的評価、形成的評価、総括的評価です。
「評定」は総括的評価であり、「エバリュエーション」に対応するものです。
それに対して、診断的評価や形成的評価は、学びをどのように改善していくか、材料を得ることを目的としています。
それは「評価」といっても、「エバリュエーション」というよりは「アセスメント」に近いものです。

一番大切なことは、「人間を数字で序列化すること」ではなく、「よりよい学びや成長の場をつくっていくこと」です。
ですから、「評定をどうつけるか」ではなく、「どうすればよりよい学びや成長の場になるか」を考えるべきです。
この前提を共有したうえで、最初の「生徒のグループ活動をどのように評価するか」ということを考える必要があります。
実際に、今僕の授業では、このようなグループ活動そのものは「総括的評価」の対象にしていません。

また、先ほど述べた3種類の評価の区分とは別軸で、評価者と非評価者に着目するとまた違うことが考えられます。