価値観に触れる異文化交流の意義

ヨルダンにあるパレスチナ難民キャンプで働いてきた窪田君に、「彼らにとっての幸せとは何か?」と聞きました。
すると、「イスラム教では入滅してからが本当の人生ということになっているので、現世は仮の姿」という答えが返って来ました。

来世を良くするために、現世では「いい行い」をするのだそうです。
それは、「ポイントをためる」ような感覚なのかもしれません。

例えば、それは物乞いをする人に少しでも恵んであげることもありますし、イスラム教徒でない人をイスラム教に改宗させることもあるようです。
※イスラム教徒への改宗については、本当に純粋に「イスラム教徒になった方がいいぞ!」と友を心配してやっている要素もあるようです。

また、ラマダンの期間に良いことをすると、普段よりも大きな意味があるそうです。
例えるなら、ポイント2倍、みたいな感じでしょうか。
だから、空腹でイライラしながらも、他人に優しくあろうとしているということでした。

難民キャンプで一生を過ごすという話を聞き、「キャンプを出て、自分のやりたいことを思いっきりやって、人生で一旗揚げようという人はいないのか?」と質問すると、現世は仮の姿だから、そこでそういうことを考える人はいないようだ、という答えでした。
それがどれだけの人に当てはまるのかはわかりませんが、そういう感覚は少なからずあるのだろうと思います。
そして、僕には理解できない感覚です。

宗教を持つ人からすれば、僕のように特定の宗教を持たない人間こそ理解不能なのだと思います。
おそらく、宗教を持った方が、人生に意味を見出しやすかったり、生きていく力を持ちやすかったりするのだろうと思います。
でも、僕にはそれは理解できません。

でも、自分の感覚と違ったとしても、「そういう考え方をする人がいる」ということは理解できます。
そして、そういう理解を積み重ねていくことは、これからとても大切なことのように思います。

そのためには、様々な国の人と、表面的な「異文化交流」だけでなく、「価値観」に触れながら対話できるような機会が増えれば良いなぁと思います。
感覚として理解できないことも、知識として理解しておくだけで、お互いの生きづらさを少しは減らすことができるはずです。