方法の議論よりも目的の確認を

昨日、ある先生が授業見学に来てくれました。
終了後に、ご自身の授業についてのアドバイスを求められました。
そこで、その方は、「今は初めにこのような資料を提示し、それを基にメリットやデメリットについて考えてもらって、最終的にはレポートにまとめてもらうというようなことをしているのですが・・・」と今取り組んでいる方法についてざっと説明してくれました。

僕は、「この授業の目的は何ですか?」と聞きました。
さらに、「この授業では年間を通じて何を目指していますか?生徒にこの授業を通してどうなってほしいと考えていますか?」と聞きました。

すると、しばらく考えて、真摯に答えてくださいました。

僕は、「目的によって、方法は変わります。いつでもこの方法が絶対に良い、ということはありません。その方法が良いかどうかは目的次第です。だから、目的を確認しないままに、その方法はダメ、その方法は良いという議論をしてしまうこと自体が危険です」と伝えました。

例えば、最終的な成果物として「2000字のレポートを書く」という方法を取っているとします。
その場合、目的がはっきりしていなければなりません。
「ある程度の文章を論理的に書けることは重要なことだから」と説明があったら、「それが重要でないとは言えないけれど、比較の問題で、他の方法と比較して優先度が高いかどうかが重要だし、本当にそれが全員に身につけさせたい能力なのか、ということも考えると必要がある」となります。

教育論の陥りがちな話なとして、「◯◯は良いことだ。だからやるのだ」という論があります。
しかし、多くの方法は「やらないのに比べてやった時にあるメリットがある」のです。
だから、「(やらないときと比べて)これはよいことだ」という議論は、「そうですね」としかならないですし、逆にそれを否定してしまえば「なぜこんなに意味のあることを否定するのだ」となってしまいます。

限られたリソースを、何にどのように使うのか。
それは、目的によって変わります。
わかりやすいリソースとしては、「時間」がありますし、「労力」もそうです。

「方法の議論の前に、まずは目的の確認を」
このことを常に意識するだけでも、「不毛な議論」を避けやすくなり、より有意義な議論に時間を使えるのだと思います。

※僕はさらに、「どんな目的を設定するかは、どのような理念を持つかによる」と思っているので、理念の確認からできると、より本質的な議論ができると思っています。
そのために、TPチャートを広げたいと思っています。