課題研究のメンターの資質能力

今日は、課題研究を行う生徒と一緒に早稲田大学の園池先生の研究室を訪問してさせていただき、研究に関しての対話をさせていただきました。

1番最初に、園池先生はこんな質問を生徒に投げていました。

今日ここに来た目的は何ですか?
そして、私に期待されている役割とは何ですか?

最初の質問からしびれました。
もしも、この生徒たちが担当教員に言われるがままにここにやってきているのであれば、上記のような質問に定型文で答えてくるか、最悪の場合答えに詰まってしまうということも考えられます。
逆に、このような質問に最初から自分の言葉で明快に回答できるのであれば、非常に目的意識のハッキリした状態で生産的な対話ができる可能性が高いと言うことになります。

僕は、打ち合わせの日時を段取りしただけで、事前に生徒と対話の中身に関する何の打ち合わせもしていなかったので、どんな受け答えをするか緊張しながら待ちました。
すると、生徒たちは、自分たちの進めようとしている研究の簡単な紹介や、それに関連してその後先生に質問したいことや、アドバイスしてほしいことがあるということを用意してきているということを伝えていました。
自分の頭で考え、誠実に受け答えができていました。

冒頭の問いとそれに対する生徒の回答で、今日の訪問が価値あるものだと確信しました。
その後、生徒たちが自分たちの研究の中身を説明する中で、園池先生から様々なクリティカルな問いが発せられ、そのたびに生徒は懸命に考え受け答えをしていました。
生徒が用意してきた質問に対しては、園池先生はその意図をはっきりさせるような問いを発することで、論点を明確にされていました。
また、一方的に教え込むのではなく、生徒が考えたくなるような問いを発したり、生徒が自分の頭で考えながらかつ内容が理解できるような適切な速さで、適切な間のある説明をされていました。
生徒の頭の中には、繰り返し「?」と「!」が浮かぶ、心地良い時間だったと思います。

また、園池先生の態度で一貫していたのは、決して生徒が懸命に考えたことを否定しないということです。
プロの高校生の研究者から見れば、考えていることや実際に行った実験などで、「議論するに値しない」と思えるようなものもあったかもしれません。
しかし、生徒から出された全ての疑問や思考に対して、すべて真摯に向き合い、受容的でありながらも本質を外さない非常にクリティカルなやりとりが展開されていました
「生徒とこんな対話ができたらいいな」と思いました。

お話を伺った内容から学んだ事はもちろんたくさんありましたが、僕自身としての大きな収穫は、課題研究を指導する立場で、メンターとしてどのような資質能力が必要なのかということに関して、素晴らしい実例を目の前で見ることができたということです。

クリティカルと言うのは、日本語ではよく「批判的」と訳されています。
その意味でクリティカルな議論をしようとすると、受容的ではなくなりますし、生徒のモチベーションを下げるような指導にもなりかねません。
クリティカルを、僕は「本質的」と考えるようにしています。
それは必ずしも批判的である必要はなく、かといって何もかもそのままに受け入れる受容的なものでもありません。
このような意味において、今日は非常にクリティカルなやりとりを見ることができました。

帰り道でも、生徒たちはとてもいい表情していました。
園池先生のところに一緒に来れて本当に良かったと思います。
良い体験をさせてもらいました。
本当にありがとうございました。