理念を共有した上で方法を議論する重要性

今日の『学び合い』おにぎりの会で気になった内容の2つ目は、「理念を共有しないままの方法論の議論の危険性」です。

グループでの対話の中で、それぞれが授業でこんなことをやっていますという話をしていた時に、ある先生から、ある授業の方法(仮に方法Aとします)をなぜ取らないのかという疑問が投げかけられました。
僕は、その先生に、「なぜ方法Aが大切だと思うのですか?」と質問しました。
その時同時に、「このような質問に対してきちんと根拠を持って説明ができるのであればそれはどんな方法であっても良いのだと思います。逆に、うまく説明ができないのであれば、それは単にその方法が良いものであるという考え方に縛られているだけかもわかりません」という趣旨のことも発言しました。

その後、その方は非常に丁寧にその方法の意義について説明をしてくださいました。
僕は、非常によく考えられているなぁと思いましたし、もちろん、それは否定されるべきものではないと思いました。
それに対して、別な方が「本当に方法Aは大事なのか?」という問いを投げかけられ、方法Aに対しての対案を説明されていました。
こうなってしまうと、最悪「どちらの方法論の方が良い方法か?」という議論に進みかねません。
苫野先生の言う「問い方のマジック」に陥ってしまっている状態といえます。
今日の会では他の方が「方法は多様で良いはず」ということで議論を着地させたようです。

そもそもこのような状況に陥ってしまうのは、お互いの「理念」が共有されていないためではないかと思います。
お互いがどのような教育理念を持ち、どのような方針に基づいてどのような方法をとっているのか。
そのことが議論の中で共有されれば、お互いの理念を大切にしながら、「その方法は先ほどの教育理念や方針に合致しているか?」という方向性で話を進めることができます。
すると、様々な方法が相対化され、「どれが最も優れた方法か」ではなく、「その人の理念を大切にしながら、今の状況においてどのような方法が考えられるか」と言う生産的な対話にできるはずです。

TPチャートを作成し、方法から方針・理念を考えることの重要性、そして理念を共有した上で対話することの重要性を認識しました。
この経験があったからこそ、今日目にした光景は、これまで見てきた様々な光景と重なって、「こういう風に方法論で議論する事はあまり生産的ではない。どうしたらより生産的な議論が可能だろうか」とメタ的に見ることができました。

白と黒が主張しあって、どちらが正しいかをはっきりさせると言うのは、「ディベート」の態度です。
それに対して、白と黒の考え方がその場に提示され、お互いの理念に基づいて、その理念が大切にされるならば方法は変わり得るというマインドを持ちながら、皆で「今考え得る最適なグレー」を探っていこうと言うのは、「対話」の態度です。

おにぎりの会のようなオープンな対話の場において、このようなことを皆で共有しておく事は、とても重要なことだろうと思いました。
やはり、TPチャートは可能な限り多くの方に作成いただき、それを、「自分を知ってもらうためのツール」として活用しながら対話を進めていけるのが理想的だなぁと思います。
ますます、TPチャートを広げたいという思いが強くなりました。