失敗は成長の糧

今日は、『学び合い』おにぎりの会に参加。
終了後の飲み会にも参加し、新たなつながりをいただきました。

特に自分の中で気になった内容は2つ。
まず1つ目は、「失敗を許さない(許せない)空気」について。
授業中の活動や行事や部活動の指導で、どうしても生徒に失敗をさせずに先回りして指導をしてしまうという傾向が学校全体にあるという話をある方から聞きました。
なぜこのようなことが起きてしまうのかと考えたときに、教員間の関係性が影響しているのではないかという話がありました。
一つには、50代のベテラン教員が20代30代の若手教員に接する際に、失敗を許さないような態度でいてしまうということがあるようです。
失敗したらそれを指摘されてしまうというような状況では、失敗を恐れて、ついつい「こういう場合はどうしたらいいですか?」とベテランに意見を求めてしまうようになります。
すると、いつまでたっても主体的に状況判断し決断することができなくなってしまいます。
そのような教員が生徒を指導する際には、当然生徒に対しても失敗を許容しないような態度になりがちです。
様々なところで言われていることではありますが、社会全体として「失敗に対して寛容になる」ことが必要なのだと思います。
そうでないと、主体性を発揮する勇気をいつまでも持てない、「指示待ち人間」が再生産され続けるだけです。

ここで思い出されるのが、「利益獲得型課題」と「損害回避型課題」の区別の重要性です。
前者は、10回のうち9回失敗しても、1回うまくいけば成功と言えるような課題です。
逆に後者は、10回のうち9回成功しても、1回失敗してしまえばそれが致命的になってしまうというような課題です。
先程の「失敗を許容する」と言うのは、損害回避型課題も含めたすべての失敗をいつでも許容するということではありません。
例えば、命に関わるような重大なことに関しては、しっかりと対話をしていく必要があると思います。
しかし、利益獲得型課題であれば、仮に失敗したとしても、まずは挑戦したことそのものが認められるべきであり、教員は「ナイストライ」と言ってあげるべきものだと思います。
ですから、まずは目の前の課題が、利益獲得型課題なのか損害回避型課題なのかをある程度見極め、利益獲得型課題であれば失敗を恐れずに挑戦を促し、仮に失敗したとしても、それをポジティブに受け止められるようにすることが次の挑戦を生む好循環につながります。
逆に、本来利益獲得型課題のはずなのに、損害回避型課題のように1回の失敗も許さないようにしてしまうと、成長が著しく阻害されます。
そしてそれは、教員対生徒という関係性だけではなく、教員間の関係性においても同様なのだと思います。

挑戦なくして成長なし。
挑戦すれば必ず失敗あり。
すべての失敗は成長の種。

このようなマインドを教員間で共有できれば、「失敗の位置付け」や「失敗の価値」というものが変容し、誰もが前向きになりやすいのではないかと思いました。