思考の見える化としての"スケッチ"

葉の観察の実習でのスケッチの意義に関して。
僕自身は写真撮影とスケッチの決定的な違いは、それを観察した人の思考が見える化されているかいないかということだと思います。

ものすごく単純に言えば、写真はとても情報量が多く、スケッチはそれに比べて非常にシンプルです。
だから、スケッチをする際には積極的に情報を削ぎ落とさなければなりません。
その際、どの情報を残し、どの情報をそぎ落とすかという点に観察者の思考が現れます
また、残された情報(つまり、スケッチに描かれた情報)がどの程度正確に描かれ(あるいはどの程度不正確に描かれ)、どの程度デフォルメされているかというところにも、観察者の思考が現れます。

つまり、スケッチを見れば、観察者がその観察を通じてどのように思考を展開したのかが分かるということなのです。

もちろん、写真であっても、例えばその画像を加工し、観察者が特に着目した部分を丸で囲むなどをすれば思考の見える化が可能です。
しかし、紙媒体で観察者の思考を見える化すると言う点において、スケッチはその力を発揮するといえます。

一方で、どうにも絵を書くことが苦手という生徒もいます(僕自身もそうなのですが・・・)。
もしもスケッチが思考の見える化を目的とするのであれば、それは画像でなくても良いはずです。
1月の日本生物教育学会東京大会で、手代木先生が示されていた「言葉のスケッチ」でも、その目的は達成できます。
実際、画像が全くなく文字ばかりの植物図鑑でも、そこから植物の種の特徴を見出し、実際に野外で種を同定することもできるはずです。

どうすれば他者に伝わるように自分の思考を見える化することができるか。
このための1つのお作法として、言葉のスケッチを含め、スケッチを行う観察実習があるのかもしれません。

 

また、観察実習におけるスケッチは思考の見える化であるということは、実は他の様々なことにおいても同様なのだと思います。
真っ先に思い浮かんだのは、読書メモです。
書籍本体には膨大な情報があります。
しかしその中でどのような内容が自分に響いたのかが、その人の読書メモを見れば見える化されるわけです。
僕の場合は読書の際はメモを取るのではなく、重要だと思ったページに付箋を貼っています。
1冊を読み終えた後に、どのページに付箋が貼られたのかを見れば、(少し恥ずかしいですが)僕の思考がそこに見える化されているということになります。

とは言え、面白い本だとかなりのページに付箋が貼られて、付箋のページの情報だけでもかなりのものになってしまうことがあります。
このような場合、さらなる思考の見える化として、その書籍のポイント例えば1分間でプレゼンテーションすると言うようなことを行うと良いわけです。
そこでとっさに出てきた内容は、自分にとって響いた内容の中でも特に重要性の高いものであるかもしれません。

情報編集力の重要性がよく指摘されますが、スケッチや読書メモはこのための1つのトレーニングと考えることもできるのではないでしょうか。