目的から方法を考える

今日は板山先生の公開授業がありました。
授業の内容は、まず何枚かの樹木の葉を観察し、葉脈や鋸歯などの特徴から同じ種だと思われるものに分類し、分類の際の参考とした特徴がわかるようにスケッチをします。
その後、野外に出て今観察した植物と同じと思われる葉を採取しまとめるというものです。

その参加者の方々と授業終了後に対話をしました。
ある方からこんな質問がありました。

この授業を受けて、生徒から「試験ではどのように出題されるのか」というような質問は出ないのですか?

そこから、普段の授業で大切にしている「問い」の話や、課題研究等の話をして、このような実習が知識の獲得を主たる目的としていないことを理解していただきました(もちろん、多くの植物を知ってもらえる事は嬉しいことではあります)。

別な先生からは、ある生徒がスケッチではなく写真を撮影してその画像を基に葉を探そうとしていたという話がありました。
写真撮影が禁止されていたわけではありませんが、ここではまずスケッチをし、その自分たちのスケッチを基に実際の植物を探してくるというプロセスに意味があると考えているためあまり望ましいことではないと考えられました(僕自身は少し違う考えを持っていますが、それは別ポストで書きます)。

このようなやり取りの後、もしこの実習の内容に関連して試験で問題を出題するとしたらという流れで、僕はこんな問題はどうでしょうかと以下の問題を提案しました。

ある植物の葉を写真で撮影するのとスケッチをするのとではどのような違いがあると考えられるか。その際、写真撮影よりもスケッチの方が優れている点や、逆にスケッチよりも写真撮影の方が優れている点があれば、その点に触れて説明すること。

この実習の主な目的は、ものを観察する視点を獲得することや、実際に野外に出ることによって、校内の植物の多様性に気づくことがあります。
そのような目的を達成するために、写真撮影では不都合があるとしたら、それはスケッチの方が目的に沿った良い方法であるということになります。
実際、今回の実習は、そのような意図があったと思われます。
ただし、上記のような論述問題を仮に出題し、スケッチよりも写真撮影の方が優れている点を論理的に説明ができれば当然それは正答です。
教員がスケッチの良さを伝えたいと思っていたとしても、です。

大切な事は、教員の考える世界に誘導したり、それを押し付けたりすることではなく、あくまでも自分の目で見て自分の頭で考えるということです。
その中で、それまで生徒が持っていなかったある視点については教員の方で少し補助をしても良いかもしれません。
しかし、教員の介入はそれ以上でもそれ以下でもないのだと思います。

写真撮影を認めるべきかどうか、スケッチをさせるべきかどうか、というような問いは、あまり本質的なものではないように思えます。
大切な事は、目的が何かをクリティカルに思考し、その目的に沿った方法とはどのようなものかということもクリティカルに思考することだと思います。