"知識"を考える

土曜日に後藤さんのお話を伺ってあらためて考えたこと。

「知識を得る」とはどういうことか。
まずは、「既知」のものが増えて、「既知」と「未知」の境界が外に向かって広がる、という意味合いがあるでしょう。
これはわかりやすいものだと思います。

これと別に、「知識の再構成」ということの重要性を後藤さんは指摘していました。
「再構成」なのですから、材料となる知識をすでに獲得しているという点で先ほどのものとは意味合いが違うように思えます。

自分なりに「知識の再構成」について考えてみました。
単に何か新しい知識を獲得しただけでは、「つながり」が見えていません。
それを、そのままに置いておくと、それは「雑学」ということになります。

それを、フォルダに整理するように、階層構造をもたせたりすると、見え方や考え方がクリアになります。
それは、「既知」の領域にありながらもぼんやりと霧に包まれていたものが、霧が晴れるようにクリアになる感覚のようなものです。

また、それらにある「つながり」を見出したとき、今まで見えなかった新しい「知」が浮かび上がることがあります。
これを「クリエイティビティ」という人も多いです。
これは、「既知」の領域にあったものを材料にして「既知」を拡張するような働きを持ちます。
これも、広い意味では「知識の獲得」と言っていいものだと思います、
なぜならば、そこで生み出された新しい「知」は、それまでのものとは区別されて他者に伝達されるものだからです。

そうして、「知識」を増やしていくと、同じものでも見え方や感じ方が変わります。
「既知」であったはずの内容に「未知」を感じたりもします。
整理できていなかったものを整理整頓できたりもします。
それは、依然書いた「臨場感」の問題にもつながってきるなぁと思います。

ということで、「知識の獲得」には、

①知らなかったことについての認識
②既知の知識の整理整頓
③既知の知識を材料にした新しい「知識」の創造

のような区分が(少なくとも)ありそうです。
このうち、これから大切になるのは、②や③の知識です。
①の知識は、ウェブ検索等でも獲得できるものが多くありますし、「わかったつもり」で閉じてしまい、活用できない知識にとどまることも多いからです。
一方で、②や③のような知識は、「与えられるもの」ではなく、「自ら獲得しにいくもの」です。
だから、時間もかかりますし、ときに面倒にも感じます。
だからこそ、価値があるのだと思います。
授業は「知識の伝達」の場から、「知識の創造」の場になっていくのだと思います。

こうして思考を展開するプロセスが、僕が新しい「知識」を獲得するプロセスそのものなのだとも思いました。