"日本人的な"解釈とは

本日、ある会に関して、直前のお知らせメールが来ました。
そこには、こんなことが書かれていました。

(引用始め)
15:15〜15:55 トッププレゼンテーションⅠ
広尾学園高等学校 校長 田邉裕
札幌新陽高等学校 校長 荒井優
西大和学園高等学校 校長  中岡義久

15:55〜16:35 トッププレゼンテーションⅡ
海城高等学校 校長特別補佐 中田大成
沖縄アミークス国際学園 学園長 安居長敏
箕面高等学校 校長 日野田直彦

【補足】
・トッププレゼンテーションⅠ・Ⅱは分科会形式となります。
 どの講演をご覧いただくかはランダムで決定させて頂きますので、予めご了承下さいませ。
(引用終わり)

ちなみに、そもそもの案内文はこうです。

(引用始め)
15:15~ 
 【トップ プレゼンテーション】
 中岡義久先生 (西大和学園高校 校長)
 田邊 裕先生 (広尾学園高校 校長)
 荒井 優先生 (札幌新陽高校 校長)
 中田大成先生 (海城高校 校長特別補佐)
 日野田直彦先生(箕面高校 校長)
 安居長敏先生 (沖縄アミークスインターナショナルスクール 校長)
(引用終わり)

「かけたはしごを外す」とはこのことだと思いました。
事前に、「2人しか話を聞けないし、誰の分科会かはランダムである」というようなアナウンスは何もありませんでした。
この素晴らしい実践者の方々の話を聞きたいから、貴重な休みを何とか調整して参加したいと思ったのです。

そんな思いが、このメール一通で否定されたような気持ちになりました。
僕は、こういうイベントの打ち方をする企業を信用しません。
「有名人」を「客寄せパンダ」にして、自社のサービスをアピールしたいだけとしか思えません。
絶対にこのような会に参加しません。

以前に何度か、某企業に「駒」のように扱われたことがあります。
仮に自分がそこの社員だとしても納得できないような案件で、ましてや、外部の人間として「依頼」がかかっている中で、でした。
信じられない思いでした。

そういった経験から思います。
こういうことをされたり、言われたりしても、「仕方ない」と受け入れてしまう人が大半で、それが「日本的な生き方」なのだと考えられているのではないかな、と。
僕は、それは違うと思っています。

おかしいものには「おかしい」と言えた方がよいと思います。
それが過度になると、ヤマトの宅急便問題のように「過剰サービスによる人間の疲弊」になってしまいます。
だから、何でもかんでも文句を言えばよいというものではありません。
しかし、それは何でもかんでも無条件に受け入れるということとも違うはずです。

このようなイベントを無償で実現しようとしていることは素晴らしいことです。
でも、「無償で」「すごい人を集めて」いるのだから何をやってもいいというのは違うはずです。

こうした主張をすると「面倒くさい」と思われることも多いですし、そうして損したこともたくさんあります。
でも、僕は納得できないことには納得できないということを表明したいと思っています。

こういうことが平気でまかり通る様子を見るたびに、「日本人的な空気の読み方」で多くの人が人が生きづらくならないように、と願うばかりです。