「何をつたえるか」より「どうしたら伝わるか」

今日は、東京都の10年経験者研修でした。
研修センターでの半日研修はこれで2回目です。
前回は教育法規、今回は人権教育に関しての研修でした。


『学び合い』を始めたばかりの時によく話題になったことを思い出します。


授業はアリバイ作りになっているのではないか。
教員は、「これは授業で伝えたぞ」というアリバイ作りをし、生徒は「これは授業で聞いたぞ」というアリバイ作りをする。
ある内容を伝えることそのものが目的化してしまい、そのアリバイを教員も生徒も求めてしまう。
本来の目的を見失ってはいけない。


今日の研修も、前回の研修も、「アリバイ作り」の色合いが濃いように感じてしまいました。
法定研修だから、「アリバイ」は何より大事なのだとは思います。
ただ、一斉講義で淡々と半日やられても、集中力は持たないし、内容の定着は当然よくないと推測します。
一方では都教委としてアクティブラーニングを推進しようとしているのに、教員向けの研修はまだまだ旧態依然としています。
研修の一部にはグループワークも取り入れられていますが、「グループワークを入れる」というお題目を与えられたから、とりあえず形を整えてみました、という雰囲気です。
ただ、それでも一斉講義がずっと続くよりははるかに「まし」な状況にはなっていましたが。


「何を伝えるか」ではないのです。
「どうしたらきちんと伝わるのか」です。
いわゆる協働的な学習という意味でのアクティブラーニングになっていなくてもよいのだと思います。
ただし、脳働的学習の場を実現してほしいのです。
研修全体のデザインに、何とかして関わることができないものか、この内容なら、こんな風にやったら面白そうだ。
受講しながらずっとそんなことを考えていました。


少しとはいえ、グループワークが導入されたことは、おそらく研修センターとしては画期的なことなのだと推測します。
数年後に、この研修がどのようになっているのか、興味があります。
それは、授業の現場の鏡のようなものかもしれません。