教員志望者との交流会から考える

東大の教員志望者と現職教員の交流会に参加してきました。
学生と現職教員、合わせて約40名が参加する、それなりに大きな規模の会でした。
このような会が開催されることは画期的なことで、とても素晴らしいことだと思います。
ただ、会の進行に改善の余地があるように感じました。

具体的には、
①教科ごとにテーブルが決まっており、そこに学生と教員が座る。
②50分程度フリートーク。
③運営から席替えを指示(基本的には同一教科で学生、教員が移動)。
④50分程度フリートーク。
⑤テーブルごとに、教員が1人立って感想等を発言。
⑥運営から締めの挨拶
という流れでした。

僕が一番感じたのは、「目的」がどこにあるのか、という点です。
もちろん、「交流」が目的なのですが、その目的の達成のための手段がこの状況の最適解ではないように感じました。

一番感じたのは、テーブルごとの学生、教員の数に偏りがあった点です。
あるテーブルでは学生さんが3人4人いるのに、理科ではテーブル2つに学生さんが1人ずつという状態でした(教員は6人くらいだったと思います)。
結局、1人の学生さんが「頑張って」2時間質問し続けるというような状態になっていました。
「交流」の中身には、教員に質問するというだけでなく、学生同士のつながりを助けるということもあったはずです。
ですが、単純に教科で分けてしまったために、このような偏りができてしまっていました。
もったいないなぁ、と思いました。

アンケートには、具体的な改善策として、以下の2点を書いてきました。

①学生同士の交流の時間を設ける
この間、参加教員同士の交流も行う。
どちらも、新しいつながりを得ることができる。

②各自が自由に移動できるフリートークの時間を設ける
こうすれば、自分で自由につながりを作ったり、必要な情報を集めることができる。

このような設計ではなく、上記のような設計になったのは、
⚫︎学生は現職教員から「教えてもらう」ことが必要である。
⚫︎「教科の専門性」が大事なのだから教科ごとが合理的である。
⚫︎参加者に任せても参加者は戸惑うだろうしうまく動けないだろう。
というような理由があるのだと思います。

『学び合い』における「生徒集団は有能である」という感覚がないのだろうと感じました。
運営の挨拶の後、解散してから、切実につながるを求める学生は他の学生に声かけをしていました。
また、いたるところで、立ち話で活発な対話が行われていました。
そんな光景の一方で、すぐに帰ってしまう参加者も一定数いたり、運営サイドがどんどん片付けを進めていて帰すような空気をつくっているのがとてももったいないと感じました。

まずは、「場」をつくることがものすごく重要です。
その前提で、「場」に集まった人の「多様性」という最大の価値をうまく生かせるような場の設計がとても重要なのだろうと思います。

最後に発言を求めるのも、なぜ学生ではなく教員なのか。
教員の方が「綺麗にまとめてくれる」という意識があったのかもしれません。
実際に、「綺麗な」コメントが続きました。
でも、あくまでも主役は学生ということであれば、この場で学生さんが何を感じ考えたかを共有することの方が重要に思えます。
そこで「おっ」と思う発言があれば、学生さん同士のつながりも生まれやすいことでしょう。

「場」の価値を生かす、という視点で、色々と思うところのあった会でした。

※このような「課題発見」と「課題解決に向かう思考」が生徒にもできるようになってほしいと思っています。全ての体験は、「学び」につながります。