誰かの背中を押すということ

日生教栃木大会の口頭発表で、授業見学に来ていただいた方で、僕のやっていることをヒントにしたという実践報告が2件ありました。
いずれの方も、授業見学等で学校に来ていただき、その後じっくりと対話をさせていただいた方です。

僕は、自分の実践を「善いもの」として自分のコピーの実践を増やそうという気は全くありませんし、むしろそうならないように気をつけているつもりです。
実際、今回発表された方も、僕以外の方から「大野さんの真似なんかしたらダメだよ」と言われたときに「はい、最初真似したんですけど、大失敗したので・・・」と答えていました。

大切なのは、「自分の理念を大切にしながら、生徒の実態に合わせて柔軟に変容し続けること」です。

ただ、「どう始めたらいいかわからない」という場合には、僕の授業を見ていただき、その後その背景にある考え方について対話をすることで、アイデアが膨らむこともあると思います。
だから、授業見学の方には、「思考の材料やヒントを持ち帰ってもらう」ことを自分の中の目標にしています(もちろん、僕の授業に批判的でも構わないということです)。

僕は、何かを大きく変えることは、バンジージャンプみたいなものだと思っています。
飛ぶまでは怖く感じて、なかなか飛べない。
飛ぶことの踏ん切りがつかない。
でも、思い切って飛んでみたら、怖いけれど、何とかなった。
もしかすると、想像もしなかった素晴らしい世界が見えるのかもしれない。
そんなものだと思っています。
だから、飛ぶのを迷っている人の背中を押してあげる、というのは是非やりたいことです。

昔、寺内タケシさんが「ギターは弾かなきゃ音が出ない」と言っていました。
その通りだと思います。
何事も、やらなければ何も起きないし、進まないのです。

大きく授業を変えようと思っても、「もう少し力がついたら・・・」「もう少し学んでから・・・」と言って、なかなか一歩が踏み出せない方もいます。
でも、「ギターは弾かなきゃ音が出ない」のです。
「力がつく」「自信が持てる」ことを待っていたら、人生の時間がどんどん過ぎていってしまいます。
自分の時間もそうですが、周囲の人の時間もそうです。

だから、僕は「自信がなかったり、不安だったりして一歩が踏み出せない」人の力になりたいと強く思っています。

何かを始めるきっかけや勇気を与えることを、どんどんやっていきたいと思っています。
僕自身の時間も刻々と過ぎています。
できることは全部やって死にたいと思っています。

やらない後悔よりやった後悔。
僕自身もいいと思ったことは何でも挑戦したいですし、誰かの背中を押してあげることもどんどんしていきたい。
そんな話でした。