環境は与えられるものではなく創るもの

部活引退のミーティングでの、ある3年生の言葉。

"この部活は、「グチャグチャな状態」と「ちゃんとした状態」を繰り返してきた。
それは、誰が顧問をしているかに大きく影響を受けてきた。
自分は、この部活を何とかしたかった。
そして、ここまでやってこれた。
ここまでつくってきたものが、また「グチャグチャな状態」にはなって欲しくない。
そのためには、「顧問によって影響を受けてしまう」ような部ではなく、「誰が顧問になっても大丈夫」な部になっていって欲しいと本当に思う。
大野先生がいなくなったらグチャグチャになってしまうとしたら、それは結局先生に依存していたということ。
そういう風にはなって欲しくない。"

非常に本質的な話だと思います。
いい仲間たちと、いい環境で、いい経験を積み重ねて、いい時間を過ごす。
そのことには大きな意義があります。
でも、それは、そんな環境が与えられなくなったときに、すぐに不満に結びついてしまいます。
あるいは、コントロールしてくれる人や環境がなくなれば、「自分は一生懸命やりたいのに、皆もやる気ないみたいだし、顧問もまともに向き合ってくれないし・・・」などのように、諦めや荒廃につながるかもしれません。

「誰が顧問になっても」「どんな環境に置かれても」「どんなメンバーが集まっても」、そこにいる部員たちが、「どうすればこの部をもっといい部にできるだろう」と思考し、行動していくことで、この「場」を最高の「人間的成長の場」とすることができると思います。
それは、「あの頃は良かった・・・」という後ろ向きな思考ではなく、「どうすればいいのか?」という前向きで生産的な思考につながる態度です。

引退のミーティングで、この話が聞けて本当に嬉しかったです。
この「マインド」を、後輩たちも引き継いで、さらにいい部をつくってくれることを期待しています。
顧問は、「最低限のセーフティネット」と、「最低限の壁」として、本当に必要だと判断したときだけ口を出し、あとは彼らの創っていくものを見守りたいと思います。