知識を得るための知識

「知識を手に入れるための知識」がない人にとって、Google検索はあまりにも難しい。

 

「大学生くらいまではネット検索は全面禁止にすべき」という方がいます。
その主張の中心は、「まずは自分でものを考える力をつけるべき」ということですが、事態はさらに難しくなっているようです。
確かに、「知識を得るための知識」がなければ、「知識」を得ることができない状況にあります。

僕の授業ではスマホの使用は自由ですが、検索すればするほど、「わからなくなる」という経験をして、「結局教科書が整理されていて学びやすい」となり、検索はあまりしなくなっていきます。
しかし、ここでは「わからなくなる」のではなく、「(事実と反するものも含めて)わかった気になる」という危険性が言われています。

授業等で扱いたくてもなかなか扱いきれない内容ですが、この記事のようなことを伝えるだけでも少しはよいのかもしれません。

以下、記事からの引用

”現状のGoogle検索の正体は、「知識の無い人に知識を授ける」ツールではなく、
「知識の豊かな人だけが知識を引き出せて」「知識の乏しい人には質の良くない知識しか与えない」ツールと言っても過言ではありません。
あるいは、知識の豊かな者と乏しい者、リテラシーの豊かな者と乏しい者の格差を拡大再生産するツールになってしまっている、とも言い換えられるかもしれません。”