東京大学の入学式総長式辞

東京大学の入学式総長式辞。

 

「主体的・対話的で深い学び」、「探究」というキーワードに象徴される次期学習指導要領の方向性と合致しています。
「なぜ生徒主体の学びなのか?」という生徒の問いに対して、思考の材料として提示するのもよいかもしれません。

この式辞で、一点だけツッコミを入れなければならない点があります。

「大学の教室は、知のコミュニケーションの場」であり、「多様性が許され、個性が歓迎されるということを知って」ほしいと総長は言います。
そして、それが「醍醐味」であり、「高校までとは決定的に違うところ」かもしれないと言います。
また、「多様性こそが新たな知を生みだす原動力」であるとも言います。

高校までの教室をこそ、こういう「場」にしていくことが重要なのです。
それが、「高校まではこうだけど、大学に入ったら違う世界」というトランジションを意識するものではなくなり、むしろ高大接続で言えば「連続性」が意識されるような方向性が望ましいと思っています。
そうでなければ、「大学進学しない人」にはそういう「場」が与えられないことになってしまいます。

現時点では、東大総長からこのようなメッセージが発せられていますが、近い将来、違うメッセージが語られてほしいなぁと思っています。
「知のコミュニケーションの場」を東大はじめ、大学だけのものにせず、高校までの教室にも広げたい。
そのためには、まずは、自分の授業から、です。

以下、式辞より引用。
”これから始まる学びは、これまでの勉強とは異なります。あらかじめ答えが用意された問いに対して、その答えを言い当てるという受け身の学習だけでは足りません。もっと自由で主体的な学びに変わらなければなりません。まず早い段階で、この大学での勉強の流儀を身につけ、そしてそれを楽しんでほしいのです。”

学問において何より大事なのは、自ら問いを立て、そしてその問いを自分で解いていくことです。問いを立てるには新たな疑問が必要であり、解くためには事実に基づいて分析の論理を積み上げる姿勢が重要になってきます。

最終的な私たちの願いは、そのような経験を積んだ上で、皆さんが「まだ答えがない問い」を自らが作れるようになってもらうことです。「まだ答えがない問い」とはもちろん、デタラメな問いという意味ではありません。「問い」を立てるということは、自分が何を知っているのかを自分で見つめなおす、極めて知的でタフな作業なのです。そこでは、大胆かつ謙虚という、相反するような気持ちを持つことが求められます。

なぜそのような問いを立てる力が大切か。それは大きく変わりつつある現代の世界で生き抜くためには、まさに簡単には答えを見つけられない、まだ答えが用意されていない問題に挑戦し続けなければならないからです。現代の社会には、手に負えない難題であっても放り出すわけにはいかないもの、解決まで粘り強く取り組まなければならないことが数多くあります。答えだとされているものをあえて疑い、事実の探り方を変え、確かめ方を模索しながら、何とか前に進んでいかねばなりません。「まだ答えのない問い」と向かい合うこと、それこそがまさに学問の営みであって、これもまた大学生として知ってもらいたいことなのです。大学という場はそうしたトレーニングをする最良の場所です。”