生きづらさを考える

映画「この世界の片隅に」を見ました。
息苦しくなったり、異常にドキドキしたり、できることなら避けたい気持ちになりました。
子どもができたからでしょうか、「家族」に対しての感受性が高まっているようです。

この物語をどう自分の中に落とし込むか。
観終わってから色々考えました。
横を歩いていた人が「何か、全く救いのない映画だったよね・・・」と話していました。
でも、僕はそうは思いませんでした。
では、何が「救い」を感じさせたのか。
そこが大事なのだなと思いました。
そして、「生きづらさ」というキーワードが浮かびました。

主人公「すず」やその他の登場人物が背負ったものは小さくありません。
そういうものを無視して「笑って、前を向いて生きていこう」ということはできないでしょう。
映画の中でも、すずが、抱えたものの大きさに耐え切れず大きな決断をする場面がありました。
そこには「生きづらさ」がものすごく感じられました。
でも、ある出来事がきっかけで、すずはその決断を変えます。
それは、すずの生きづらさを大きく軽減するものだったはずです。

すずの背負ったものに変わりはありません。
でも、周囲の人との関係性だけで、その生きづらさは減らすことができます。
なくしてしまった関係性は、新しい関係性を築きなおすことで、少しは気持ちを楽にすることができます。

人がなくなるのは、「死ぬとき」ではなく、「人の心からその人がいなくなったとき」です。
だから、せめて自分の心に生きていてもらえれば、本当の意味で「なくなる」ことはないのだと思います。
その「存在」も、(死を思うととてもつらいですが、)長い人生の中では、生きづらさを減らしてくれるでしょう。

広島・呉を舞台としている以上、「ハッピーエンド」にはなりえない物語です。
でも、「普通の人」が、「普通でない変化」を体験しつつ、それでも「日常」を生きていたという記録。
そして、そこに生きる人たちが、相互依存的な関係性を持つことで、生きづらさを減らしながら、何とか生きていたということ。
当時の人から見れば、「そのときにあった当たり前の光景」が、今の僕には重く語りかけてきます。

でも同時に、「戦時中だから」ではなく、今も僕たちはそれぞれの「終わりなき、絶対的平穏なき日常」を生きています。
そして、それぞれの「生きづらさ」を抱えています。
「戦時中に比べれば」とつい考えてしまいます。
もちろん、今の僕たちが抱えているものは戦時中のものとはかなり異なりますが、でも本質的にはかなり似ているものもあるように思えるのです。

大切な人をなくしたり、体の一部を失ったりするような「生きづらさ」と、もしかしたら似たような「喪失感」や「先の見えない不安」を今の僕たちもそれぞれ持っているように思います。
問題は、その生きづらさとどう向き合って、人生をより良いものにしていけるかということです。
この映画の中の「救い」は、まさにそこにあるのだと思います。

教員として、「ハッピーエンド」ばかりをイメージするのではなく、「生きづらさ」の本質とは何かを考え続け、少しでも生きづらさを減らせるような生き方ができるような「場」を提供し、少しだけ語る。
問題は、世界の遠いどこかや、遠い過去にあるのではなく、「今、ここ」にだってたくさんたくさんある。
その本質と向き合い、自分にできることを考え続け、実践し続ける。
僕はそうやって生きていきたいと思います。

映画の様々な場面を思い出しつつ、「生きづらさ」というものを軸に、自分の中に落とし込んでいきます。